出場選手の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 22:53 UTC 版)
「中京商対明石中延長25回」の記事における「出場選手の証言」の解説
明石中の中田は、20回を過ぎた位から疲労がピークに達し、「20回位までは、球も思うように投げられたが、それ以降は手がしびれて感覚がなくなり、勝ち負けよりも早く試合が終わってくれればよいと思った」と振り返った。「25回まで得点を許さなかったのは神様の加護。この記録を作り得たのは無上の光栄」という言葉を残した。 試合を決めた大野木は、9回無死満塁での神谷のピッチャーライナー併殺を三塁コーチとして目の当たりにしており、併殺を嫌って25回裏の打席では「実は三振しようと思っていた」という。事実2ストライクを取られた直後、次の福谷に「おれは三振する。後は任せた。」と告げた。ただ福谷が返事をしなかったため「『それならおれが決めてやろう』という気になった。開き直って思いっ切り振る事だけに集中した。もし福谷が『俺に任せろ』と言っていたら、間違いなく三振していた」という。打った球種は「外角へのボール気味のカーブ」、打った状況は「短く持っていたバットを投げ出すように振った」という。 勝敗が決した際、疲れていたのか、両者ともに実感が湧かなかった選手がいた。後日、中京商・吉田は「とにかく勝ったような気がしなかった」。一方の明石中・横内も同じく「おかしな話だが、次の日も試合があると思っていた。ベンチに引き上げても『負けた』という実感はなかったんだ」と語っている。 後日、中京商の杉浦はこの試合の勝因として中京商の堅い守りを挙げ「25回戦ってエラーがなかった事」と語り、明石中側の選手も、深瀬が「(中京商の)三遊間は抜ける気がしなかった」、横内も「(中京商の吉田に対する)投前犠打は決まったように二封された」と証言している。事実明石中の敗戦はエラーによるもの。また中京商の守備では、記録には表れない好守備(牽制刺殺、犠打封殺など)も随所に見られた。 中京商は長引く延長戦に、負けはもちろん「絶対に引き分けるわけにはいかない」と誓いあっていた。杉浦は後日「明石は中田と楠本という二人のピッチャーがいるが、うちはヨシさん(吉田)一人だから絶対に引き分けに持ち込んだらいかん、といいあっていましたよ」と発言している。
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