江利チエミとは? わかりやすく解説

江利チエミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 19:41 UTC 版)

江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日[1])は、昭和期に活躍した日本歌手女優タレント


注釈

  1. ^ デビュー当時のチエミも吉本に所属していた。デビュー当時の吉本は今のような規模になく花菱アチャコ・チエミくらいしか稼げるスターはいなかった。
  2. ^ 三亀松の語りにあわせての効果音的なピアノ伴奏は絶妙で、三味線もコードを変えて音を重ねるなど巧みな腕を持っていた。
  3. ^ キング』(講談社)1953年8月号他でこのように伝えられ、後に刊行された伝記『江利チエミ 波乱の生涯/テネシーワルツが聴こえる』でもこの説が採られているが、キャピトル盤のレコードは現在に至るまで発見されておらず、「Federal」というインディーズ・レーベルから発売された盤のみが確認されており、レーベル面には「Recorded in Japan」と書かれている[3]
  4. ^ 「ゴメンナサイ」は1953年当時は作曲家の専属契約の問題があり日本では発売されず[4]、1981年発売のLP『NICE TO MEET YOU! CHIEMI ERI』にて日本盤への初収録となった(但し再録音版)。
  5. ^ 以来、高倉は終生独身を貫き2014年11月10日に83歳で亡くなるまで、毎年チエミの命日には人目を避けるように早朝に墓参し、供花・本名を記した線香を贈り続けていた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.53.
  2. ^ a b 世相風俗観察会(編)『現代風俗史年表 昭和20年(1945)→昭和60年(1985)』河出書房新社、1986年、63頁。ISBN 4-309-24089-5
  3. ^ 原田和典のJAZZ徒然草 第76回、diskunion.net、2012年3月30日。
  4. ^ 「花形ジャズ歌手評判記 / 堀田金四郎」『婦人生活』第7巻第10号、同志社、1953年9月1日、188頁、NDLJP:2324898/96 
  5. ^ 1937年1月11日「江利チエミさんが生まれた日」”. DON!日本テレビ) (2011年1月11日). 2014年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。
  6. ^ 「テアトロン賞」とは?”. 江利チエミの世界. 2004年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  7. ^ 1972年2月刊行、「週刊平凡」第14巻第6号の目次 週刊平凡 14(6)”. Webcat Plus. 2014年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月30日閲覧。
  8. ^ 1975年10月刊行、「婦人倶楽部」11月号(第56巻第11号)の目次 婦人倶楽部 56(11)”. Webcat Plus. 2014年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月30日閲覧。
  9. ^ 1972年2月刊行、「週刊平凡」第14巻第7号の目次 週刊平凡 14(7)”. Webcat Plus. 2014年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月31日閲覧。
  10. ^ チエミの言い分と、〝姉〟吉田よし子さんの衝撃の反論 江利チエミが2億円横領で姉を告訴
  11. ^ 『紅白歌合戦の真実』(合田道人著、幻冬舎、2004年)p55-56


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江利チエミ

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高倉健」の記事における「江利チエミ」の解説

1959年2月16日高倉28歳誕生日時に)、1956年の映画恐怖の空中殺人』での共演が縁で江利チエミと結婚3年後1962年、江利は妊娠し子供授かる重度妊娠中毒症発症し中絶余儀なくされ子宝には恵まれなかった。江利の異父姉が様々なトラブル起こし結婚悪影響及ぼしたとされる。江利側から申し入れ1971年9月3日離婚した離婚原因は江利チエミの親族まつわるトラブルからである。その後高倉女性との交際の噂はあったものの、再婚はしなかった。一方離婚から11年後1982年2月13日に、江利は脳卒中吐瀉物誤嚥による窒息のため、45歳若さ不慮急死遂げている。葬儀には姿を現さなかった高倉だが、江利の命日には毎年墓参り欠かさず、花を手向け本名記した線香贈っていた。 1962年主演映画三百六十五夜』は、岡田茂がなかなか出ない高倉スターにするため、江利・美空ひばり雪村いづみ三人娘鶴田浩二共演企画され作品だった。岡田は江利に「亭主高倉主演で『三百六十五夜』を撮りたい当てて高倉実績を残すためにも、三人娘で色どりを添えたいんだ」とオファーしたが、「いやです。わたしは仕事私生活混同したくないんです。亭主亭主です。そういう映画には出たくない」と即座に断られた。高倉岡田から「おまえ、女房なめられてるじゃないか今後ウチでは、チエミ一切つかわんからな。チエミごときになめられて、勝手なことをやられているようでは一人前なれないぞ。おまえが大スターになって見返さんと駄目だよ」と発破かけられ奮起促されたという。

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江利 チエミ

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三人娘 (1955-)」の記事における「江利 チエミ」の解説

詳細は「江利チエミ」を参照 愛称: 「エリー」「チーちゃん」「ノニ」など 本名久保 智惠美 生年月日1937年1月11日 没年月日1982年2月13日 配偶者: なし(1959年高倉健俳優)と結婚1971年離婚子供: なし 1952年に「テネシー・ワルツ」でデビューし、いきなり大ヒット。翌1953年には第4回NHK紅白歌合戦初出場を果たす。紅白歌合戦にはその後1968年まで16連続出場した。ほか1974年~1975年には「酒場にて」がロングセラーとなる等、ヒット曲多数存在。さらに女優として主演した映画『サザエさん』シリーズ人気博し、計10作もの映画製作されテレビドラマ化・舞台化もされた。さらに日本におけるブロードウェイ・ミュージカル初演である東京宝塚劇場での『マイ・フェア・レディ』主演し数々の賞を受賞するなど幅広いジャンル活躍した。だが、1982年脳卒中吐瀉物が喉に詰まる窒息のため急病死。45歳没。

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