日本での歌唱
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日本においては、1965年になかにし礼による訳詞を青山ミチが歌い「レットキス (Let Kiss)」としてレコードが発売された。また、1966年には坂本九が、永六輔の作詞で「レット・キス (ジェンカ)」の曲名でカバーして、これをきっかけに日本中でジェンカが踊られるようになる。 なお、坂本によるカバーは1966年9月に「ジェンカ」という曲名で発売されたが、同11月に曲名を「レットキス (ジェンカ)」と微妙に変更して再発売されている。いずれにしても、坂本によるカバーは1967年5月までにレコード売上が60万枚を突破し、同月8日に60万枚突破記念パーティが開催された。坂本にとっても久々の大ヒットとなった。その年の大晦日に行われた「第17回NHK紅白歌合戦」でも、坂本によって「レッツ・キス」と題して歌唱された。 さらに2008年には、橋幸夫がシングル「いのちのうた(コロブチカ)」のカップリングとして、亜蘭知子の訳詞で「ジェンカ」の曲名でカバーした。同曲は映画「クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜」の挿入歌として使用されている。 2017年には、ザ・ビートガールズがアルバム『恋する気持ちはワークワク』の中で、青山ミチ版を「レットキス (Letkiss) 」の曲名でカバーした。 その他、「ジェンカ」の曲名で井原たかしが作詞したものが存在する。 坂本九ゆかりの茨城県笠間市にある駅では、この曲が発車メロディに採用されている。 2012年7月24日から、岩間駅2番線で採用 2014年4月29日から、笠間駅2番線で採用
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日本での歌唱
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日本では岩谷時子の訳詞により越路吹雪が歌ったものが特に有名である。越路は本楽曲以外にも代表曲のひとつである「サン・トワ・マミー」、「夢の中に君がいる」など、アダモの楽曲を数多く歌いヒットさせている。越路は「ろくでなし」を自身のリサイタルやステージなどで披露し、「愛の讃歌」や「ラストダンスは私に」などとともに越路の代表曲の一つになっている。 なお、岩谷の訳詞の内容は他の楽曲では原詞と異なる場合も多いが、本楽曲は、越路が歌唱するにあたって主人公の性別を男性から女性に代えた以外は、多くの箇所で元の歌詞の意味をそのまま踏襲したものになっている。 原題をそのまま訳すと「不良少年」という意味であり、日本でもアダモ自身のアルバムを中心として本楽曲のタイトルを「不良少年」と訳している場合もあるが、岩谷の歌詞で越路が歌ったものがヒットし、そのタイトル「ろくでなし」がインパクトを与えたこともあって、日本では「ろくでなし」というタイトルで親しまれている。 WAHAHA本舗所属のタレント、梅垣義明は同劇団の「歌姫」として女性歌手の形態模写を舞台で披露しており、越路吹雪による本楽曲のパフォーマンスが知られている。本楽曲を歌いながら鼻にピーナッツなどの豆(主に春日井製菓のグリーン豆が使われている)を詰めて歌の間に鼻息で飛ばすというものである。また2003年公開の『東京ゴッドファーザーズ』の劇中において梅垣が声を務めるハナが歌唱するシーンがある。 1993年から1995年までフジテレビ系列局で放送された『志村けんはいかがでしょう』では、番組の締めのコントとして、当時の番組ディレクターである川口誠(番組内でのクレジットは「パピアント・グッチャン²」)による「ろくでなしコント」が行われた。ギャンブルにふける夫などのダメ男(志村)に対し堪忍袋の緒が切れた妻などの女性が「この、ろくでなし!」と叫ぶと突如本楽曲のイントロにあわせて川口が登場し、本楽曲のサビ部分を文節ごとに「ウィッ!」と言いながら(越路本人も本楽曲を歌唱するときには実際に「アーウィ!」と言っている)歌い上げて去る(この時に手の人差し指と中指を、手の甲を前に向けて立てる)。これを3 - 4回繰り返したところで志村に「いい加減にしろ!」「やかましいよ!」などと川口がどつかれる演出が付される。 2000年には、小島麻由美によってカバーされたものが、映画『蝉祭りの島』の主題歌として使用された。 2005年にフジテレビ系列で放送されたドラマ『女の一代記』シリーズ「越路吹雪・愛の生涯~この命燃えつきるまで私は歌う」では、越路役を演じた天海祐希がドラマ内で本楽曲を歌唱した。
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日本での歌唱
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日本では岩谷時子の訳詞(日本語詞)により越路吹雪が唄ったものが特に有名である。越路版の「愛の讃歌」が収録されているCDなどの売上はトータルで200万枚以上に達し、越路の代表曲の一つとなり、生涯の持ち歌にもなった。また、1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』では越路によって「愛の讃歌」が歌唱された。 越路が「愛の讃歌」を唄うようになったのは、1952年に出演した日劇シャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌としての歌唱が始まりであった。越路のマネージャーでもあった岩谷が訳詞したが、岩谷にとって訳詞・作詞はこれが初めてであった。岩谷はその後も越路の楽曲の訳詞を手がけ、さらには作詞家として数々のヒット曲を手がけることになった。 岩谷の詞は原詞にある「愛のためなら宝物を盗んだり自分の国や友達を見捨てることも厭わない」という背徳的な内容とは異なったものとなっている。しかし、岩谷が甘い歌詞で日本人向けに大胆に訳したことで結婚披露宴などでも唄われ、日本でも本作が広く親しまれるようになった。この岩谷詞は、後には本田美奈子.がアルバムで取り上げた他、桑田佳祐も日本生命のテレビCM の中でアカペラで歌唱するなど、数多くの歌手が唄っている。 一方、岩谷詞より知名度は低いものの、永田文夫による日本語詞は比較的原詞の意味に忠実な内容となっており、岸洋子や美川憲一が歌唱している(美川は岩谷詞と併せて唄っており、『第56回NHK紅白歌合戦』では岩谷の詞で歌唱している。岸洋子も越路没後は岩谷詞で歌っている)。美輪明宏は原詩の内容を忠実に伝えたいという意図の下で自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っている(後述の通り、自身の作詞による日本語詞バージョンもある)。また、さらに知名度が低いが、それ以外にも淡谷のり子が唄った井田誠一の訳詞や美空ひばりが唄った水島哲の訳詞などもある。加藤登紀子、宇多田ヒカルは自分で訳詞したものを唄っており、原曲に近い内容の詞作になっている。 スポーツでは、ヴィッセル神戸のサポーターソングとして、選手入場時にサポーターが唄うことでも知られる。タイトルは「神戸讃歌」で、歌詞はオリジナル。この歌はNHK総合テレビで2008年1月18日に放送された「プレミアム10 絆・被災地をつなぐ“こころの歌”~阪神大震災から13年」において、ヴィッセルが初練習を予定していた日に発生した阪神・淡路大震災で犠牲になった人たちの願いが込められている、と紹介されている。 フジテレビのスポーツ報道番組『すぽると!』のコーナー「おかえりSPORT」の冒頭で田中ユウスケが編曲した「愛の讃歌」のイントロ部分が使われている。 NHKの連続テレビ小説『花子とアン』では、柳原白蓮の駆け落ち(白蓮事件)をモデルとしたエピソードを描いた2014年7月18日放送分にて、BGMとして「愛の讃歌」が使用され、約4分間にわたって一切台詞無しでフルコーラスを流すという演出が行われた。歌唱は同作のナレーションを務める美輪明宏で、自身の訳した日本語詞による。2014年8月30日にNHK総合で放送された「SONGS」でも、美輪が1968年に自ら発表した日本語詞で熱唱した。 テレビ朝日系列ドラマ『越路吹雪物語』主題歌にも用いられ、瀧本美織と大地真央が歌唱している。 2020年東京オリンピックの閉会式でシンガーソングライターのmiletが歌唱している。
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日本での歌唱
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日本では1952年、和田壽三の訳詞によって江利チエミが歌唱したものが最も有名である。当時14歳だった江利チエミはデビュー曲として本楽曲を唄って40万枚を売り上げる大ヒットとなり、江利チエミの代表曲になった。 日本では当初、パティ・ペイジ盤とジョー・スタッフォード盤の2つがヴォーカルでは本命盤であったが、最終的には江利チエミ盤が本命盤をレコード売上・人気共に上回る大ヒットになった。 江利チエミの歌唱による「テネシーワルツ」の大ヒットは、チエミが「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「ジャズ」(戦後すぐの日本では、広義の意味でポップス(洋楽)を総称してこう呼んだ)を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。後のペギー葉山、そしてカントリーの小坂一也など、そしてロカビリーブームといった、日本における「カバー歌手」のメジャー化のさきがけを果たした 。 日本では江利チエミなど1950年代のジャズ系歌手が歌ったが、2003年の『第54回NHK紅白歌合戦』では綾戸智恵(当時は「綾戸智絵」)のカバーが取り上げられた。
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日本での歌唱
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「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の記事における「日本での歌唱」の解説
デスコグラフィー アーティスト形態レーベル規格番号リリース備考江利チエミ SP 日本コロムビア CL-182 1955年11月 音羽たかし訳詞 ダーク・ダックス シングル 日本コロムビア JL-157 1955年11月 藤浦洸訳詞 鹿内タカシ LP キング LKF-1284 1962年8月 『タカシとロック』収録 シャープ・ファイブ LP キング SKK-192 1966年1月 『パラダイス・ア・ゴーゴー』収録 黛ジュン LP キャピトル CPC-8006 1969年 『Jun & Jun = ジュンの世界』収録 スパイダース LP フィリップス FS-8100 1970年5月 『ロックン・ロール・ルネッサンス』収録 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LP 日本コロムビア PSS-10027〜8-J 1970年10月 『ポピュラーヒット25年史(上巻)』収録 西城秀樹 LP RCA RVL-7036 1977年 『ロックンロール・ミュージック/ヒデキ』収録 モーニング娘。 テレビ放映 2001年 「第51回NHK紅白歌合戦」のディズニーショー
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