広義の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 06:56 UTC 版)
脱構築という概念は、いうまでもなくポストモダンかつポストモダニズムと強く結びついている。デリダが提唱する形而上学においての脱構築、あるいはその影響を受けアメリカで発展した文学批評理論に留まらず、あらゆる分野に広く用いられており、次の両方の意味に当てはまる。 ある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築すること。フランス語のdéconstructionには、たんに「解体」という意味が付されており、しばしばその場合のみに使用されることもある。だが「脱構築」というときには、積極的に意義を見出すために行われる作業とみなされる。 ある対象に隠された、矛盾する(あるいは倒錯している)、無意識下の形而上学を暴き出すための手法。この場合、脱構築された対象は、我々が一般的に認識している観念・概念を揺るがし、覆すものとして現れる。 下記の関連項目の「建築における脱構築主義」に即して一例を述べてみよう。我々が一般的に「建築」として認識している対象は、「人が合理的に住みよい場所」という既成概念に、気付かずに縛られている。この合理性とはまさに近代主義の産物であると考えられる(これに関してはマックス・ウェーバーの議論を参照)。よって脱構築された建築物は、そのような思い込みが一つの構築された観念に基づいたものにすぎないことを、一種の違和感を与えつつ、我々に暴露する。このとき、いわば、機能性・整合性という合理主義が解体されながら、同時に、行き詰まったモダニズムの閉塞感を打破するために、新しい(あるいはポストモダン的な)美学に基いた観念が具体的に形として提示される(あるいは再構築される)のである。 このように、広義の意味での脱構築は、ありとあらゆる対象に向けて行われる、固定化された既成の観念の相対化を促す作業であると同時に、それを乗り越えようとする、新たなる地平への可能性の提示である、と言える。
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