1980年代から
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1984年8月に第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」にて網浜直子とダブルでグランプリを獲得した。このときの応募総数は歴代最大の18万325人だった。ミス・セブンティーンコンテストは、姉が持って来た雑誌に載っていたもので、姉から勧められたものだった。コンテストの審査員には、これに落ちたら地方公務員か電話交換手を目指そうと思うと答えたという。ニックネームは「のりりん」の他、本名の佐藤美和子に因む「サミー」などだった。デビュー時のキャッチフレーズは「とどくかな、笑顔。」で、郵政省の「タイムカプセル2001」とタイアップした。 1985年にシブがき隊主演映画『バロー・ギャングBC』に出演した。同年3月21日にアイドル歌手として「春色のエアメール」でCBSソニーよりデビューした。デビュー曲の候補には「春色のエアメール」の他、カップリング曲となった「秘密の17才」、後に1stアルバムに収録された「なるほどネ!!」があった。シングル発売時には松坂屋上野店等の屋上にてイベントを行っていた。代表作には「さよならと言われて」、「儀式(セレモニー)」等だが、「さよならと言われて」でTBSの『ザ・ベストテン』に「今週のスポットライト」として登場するも、全ての曲でベスト10へのランクインは1度も果たせなかった。本人としては何としてでもベスト10入りしたい! という強い希望があり、ベスト10入りするまで、仕事の際は車移動をしないという願掛けをしていたという。 1987年に車移動が解禁となるが、その分、熱狂的なファンによる「追っかけ」が激しくなる。本人としてもベスト10歌手を諦めざるを得ない状況に加え、家族から引退も勧められており、精神的に不安定であったため、追っかけに向かって「ちゃんと生身の女性と恋愛しよう!」と呼びかけてしまい、大量のファン離れが起こってしまった。しかし、そのことが路線変更に繋がる。アイドル活動の傍ら、フジテレビ系のバラエティ番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』にレギュラー出演し、志村けんらと息のあったコントを披露し、いしのようこと共に二大看板となった。 1992年に当時ヤクルトスワローズの内野手だった笘篠賢治と結婚した。結婚指輪は800万円だった。結婚後は主婦と子育てに専念し原則として休業したが、ときおり本名で夫とトーク番組にゲスト出演したことがあった。
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