1980年代〜引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 16:04 UTC 版)
「バグジー・マグロー」の記事における「1980年代〜引退後」の解説
1970年代末からはNWAフロリダ地区(エディ・グラハムが主宰していたチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)を主戦場に、悪徳マネージャーのサー・オリバー・フンパーディンクのファミリーに加入。"バッド・バッド" レロイ・ブラウンとの巨漢コンビでダスティ・ローデスやジャック・ブリスコと流血戦を演じたが、1980年3月にフンパーディンクと仲間割れしてベビーフェイスに転向。アンコ型の巨体に禿頭の髭面という正義のヒーローには程遠い風貌ながら、そのコミカルで陽気なキャラクターが子供たちに支持され、ローデスに次ぐ同地区の人気者となる。 以降もフロリダに定着して、ドン・ムラコ、イワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、バロン・フォン・ラシク、マサ・サイトー、ディック・スレーター、ザ・ファンクス、ボビー・ジャガーズ、R・T・タイラー、ハンス・シュローダーらヒール勢と抗争を展開した。その間、テキサス州ダラスのWCCWにも参戦し、1980年12月12日にブルーザー・ブロディからテキサス・ブラスナックル王座を奪取。主戦場のフロリダでは1981年3月5日と4月15日にハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦し、引き分けに持ち込んでいる。 1981年5月にはジャック・ブリスコの斡旋で全日本プロレスに来日、再びヒールターンしてザ・シークのタッグパートナーを務め、ジャンボ鶴田&リッキー・スティムボートなどのチームと対戦、ジャイアント馬場とのシングルマッチも組まれた。帰国後もヒールのポジションでテネシー州メンフィスのCWAに登場。ジミー・ハートをマネージャーにジェリー・ローラーやビル・ダンディーと対戦し、スティーブ・カーンとNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った。 同年の末よりダラスのWCCWに再登場し、12月26日にザ・グレート・カブキを破ってNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得。翌1982年4月11日には若手時代のキングコング・バンディをパートナーに、ケリー・フォン・エリック&アル・マドリルからNWAアメリカン・タッグ王座も奪取している。同年6月4日にテキサス・スタジアムで行われたフリッツ・フォン・エリック引退興行ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのシングルマッチが組まれた。 その後はベビーフェイスに戻り、1983年もNWAの主要テリトリーを転戦。ジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区ではルーファス・R・ジョーンズや "ブギウギ" ジミー・バリアントとタッグを組み、7月20日にはジョーンズとのコンビでワンマン・ギャング&ケリー・キニスキーからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取。11月24日に開催された『スターケード』の第1回大会にも出場した。 1984年3月には全日本プロレスに再来日。開幕戦でスタン・ハンセンの試合に乱入して喧嘩を売り、3月30日に茨城県古河市にて、当時ハンセンが保持していたPWFヘビー級王座に挑戦した。なお、ハンセンとマグローはジム・バーネット主宰のNWAジョージア地区でタッグを組んでおり、1983年のクリスマスにアトランタのオムニ・コロシアムにおいてロード・ウォリアーズと対戦したことがある。 1984年はメンフィスのCWAにもベビーフェイスとして再登場し、ランディ・サベージが保持していたミッドアメリカ・ヘビー級王座に連続挑戦。同年夏からは古巣のフロリダに復帰して、ワフー・マクダニエルやブラックジャック・マリガンとのベテラン・コンビで活躍。1985年はファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、バディ・ロバーツ)、ミッシング・リンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、リック・ルード、ジェシー・バー、ヘラクレス・ヘルナンデス、リップ・ロジャースなどと対戦している。その後、WWFの全米進出が始まってNWAの各テリトリーが形骸化したこともあり、1991年に引退した。 引退後はセントラル・フロリダの医療機関で看護師の業務に就いている。フロリダで行われるオールドタイマーのリユニオン・イベントにも参加しており、2005年1月29日の "WrestleReunion" にはグレッグ・バレンタイン、ジェイク・ロバーツ、チャボ・ゲレロ・シニアらと共にバトルロイヤルに出場(当日はローデス、レイス、ファンクス、ブッチャー、ロディ・パイパー、ジミー・スヌーカ、カウボーイ・ボブ・オートン、マスクド・スーパースターなども参加し、エキシビション・マッチを行っている)。同年9月10日の "WrestleReunion 3" ではザ・ウォーロードから勝利を収めた。 2009年は、6月18日収録(7月2日放送)のTNA『iMPACT!』にミック・フォーリーのセキュリティとして登場。同年10月1日には、WWEの下部団体FCWのハウス・ショーにも顔を見せた。 2012年3月31日にマイアミビーチで行われたプロレスリング・スーパースターズ主催の "Tribute To Championship Wrestling From Florida" では、メインイベントのタッグチーム・エリミネーション・マッチにおいて、ベビーフェイス陣営のマイク・グラハム、ブライアン・ブレアー、カルロス・コロン、ラニー・ポッフォ組のセコンドを務めた。 2019年には編集者との共著による自伝を発表した。
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