1980年代〜引退とは? わかりやすく解説

1980年代〜引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 00:30 UTC 版)

マイク・ジョージ」の記事における「1980年代〜引退」の解説

1980年4月MSWAとの提携ルート持っていた国際プロレスの『'80ビッグ・チャレンジ・シリーズ』に来日負傷したキラー・ブルックス代打としての急遽来日だったものの、体格的にも実力的にも5年前全日本初来日時と比べ格段にパワーアップしており、ジョー・ルダックから外国人エースの座を奪うなど下馬評上の活躍見せた(『週刊ファイト』では「小型ハンセン」とも評された)。同シリーズでは5月10日八戸市体育館にてラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座挑戦木村追い込んで引き分けている。 もともとはベビーフェイスのハンサム・ガイとして活躍してきたジョージだが、MSWAではボブ・スウィータンとのコンビヒール転向していた。翌1981年1月には先輩格のスウィータンに合わせカーリーヘア顎髭蓄えるなど、ビジュアル・イメージ一新させて国際プロレスの『'81新春パイオニア・シリーズ』に再来日1月20日大阪府立体育館にてスウィータンと組んでマイティ井上&アニマル浜口IWA世界タッグ王座挑戦し1月30日常陸太田大会で木村IWA世界ヘビー級王座に再挑戦したまた、シリーズでは末期国際プロレス社運をかけて企画したルー・テーズ杯争奪戦」の前期予選リーグ行われジョージトップ戦績同年秋に開催予定されていた決勝リーグへの進出決めたが、開催前国際プロレス崩壊したために決勝大会が行われることはなかった。 その後ベビーフェイス戻り1981年5月13日コロラド州スプリングフィールドにてハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座挑戦フォール勝ちを収める不透明な判定によって幻のNWA世界ヘビー級王者となっている。以降MSWAとセントラル・ステーツ地区主戦場活動しMSWAではジャンクヤード・ドッグテッド・デビアス組みボブ・ループボブ・オートン・ジュニアポール・オーンドーフワイルド・サモアンズらと抗争。セントラル・ステーツ地区ではマーク・ロメロ(ジェイ・ヤングブラッド実弟マーク・ヤングブラッド)をパートナーに、デューイ・ロバートソン&ハーキュリーズ・ヘルナンデスなどのチーム1982年タッグ王座争った同年は、7月23日セントジョセフ8月9日ウィチタにて、当時NWA世界ヘビー級王者リック・フレアー連続挑戦している。 1983年1月新日本プロレスへの初参加が実現(『新春黄金シリーズ後半戦への特別参加)。当時新日本マットには元国際プロレス木村浜口寺西勇らが「はぐれ国際軍団」として参戦しておりヒール人気高めていた。ジョージは彼らの「助っ人」として、試合後のタイガーマスク急襲するなどのヒールぶりを見せたが、日本人同士軍団抗争メイン据えようとする新日本構想外れたこともあり、活躍機会には恵まれなかった。シリーズ最終戦である2月10日蒲郡大会では、木村組んでアントニオ猪木&ハルク・ホーガン対戦している。 以降自動車ディーラーとなり一時リタイアしていたが1986年復帰して5月23日にアキオ・サトーからNWAセントラル・ステーツTV王座を、6月15日ルーファス・ジョーンズ組んでJ・Rホッグ&ハクソー・ヒギンズからNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座奪取1987年2月には全日本プロレスへの12年ぶりの来日果たした1988年1月23日にはセントラル・ステーツ地区新設されWWA世界王者決定トーナメント参加決勝ディック・スレーター破って初代チャンピオンとなる。同王座巡り海外武者修行中だったマサ・チョーノこと蝶野正洋とも抗争展開した1989年初頭にセントラル・ステーツ地区活動停止してからは、末期AWA参戦同年2月7日ミネソタ州セントポール行われたAWA世界王者決定バトルロイヤルにも出場している(優勝ラリー・ズビスコ)。以降は髪をブロンド染め、"ザ・タイムキーパー" なるニックネームのベテラン・ヒールとして、ポール・ダイヤモンドニキタ・コロフザ・トルーパーなどと対戦した1990年引退後ディーラー事業専念している。

※この「1980年代〜引退」の解説は、「マイク・ジョージ」の解説の一部です。
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