1980年代・引退ツアー
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「カレル・ゴット」の記事における「1980年代・引退ツアー」の解説
1980年代に入ると、国外での活動が盛んになった。1981年にはイタリアでミュージカル "In the Track of Bel Canto" が撮影され、そのサウンドトラックに基づいてイタリア語のアルバム "Bella Italia" が発売された。また、ソ連ではソフィーヤ・ロタールとのデュエットも披露された。1983年、ドイツの伝統音楽への貢献が認められ、ミュンヘンでヘルマン・レンズ・メダル(ドイツ語版)の金メダルを受賞した。1985年4月30日には、優れた芸術的貢献に対し国民芸術家(チェコ語: Národní umělec)の称号を授与された。 1986年、ポリドールとの契約が20年にわたったことを記念し、レナード・バーンスタインとヘルベルト・フォン・カラヤンに次いで3人目のゴールデン・ニードル賞の受賞者となった。1991年3月、ポピュラー・ミュージック・アカデミーの殿堂入りを果たした最初の人物となり、1992年9月8日にはチェコスロバキアでのレコードの売り上げが1300万枚に達したことが認められ、スプラフォン・ダイヤモンド・レコード賞を受賞した。 1990年、引退を発表し、長期間にわたる引退ツアーを行った。しかし、ツアーが成功したことにより引退を撤回。1993年、フランティシェク・ヤネチェク(英語版)とともに芸術事務所 "GOJA" を設立し、自身のレコードの発売や活動のマネジメント等を行った。
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