1980年代 - 強豪時代とは? わかりやすく解説

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1980年代 - 強豪時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:14 UTC 版)

シンシナティ・ベンガルズ」の記事における「1980年代 - 強豪時代」の解説

1980年代チームは2回スーパーボウル出場果たしたいずれもサンフランシスコ・フォーティナイナーズ敗れ優勝はならなかった。 1980年からはフォレスト・グレッグがヘッドコーチとなった12月21日クリーブランド・ブラウンズ戦でDEエディ・エドワーズ相手QBブライアン・サイプを5サックするチーム記録作った1981年シーズンこの年よりヘルメット縞々のものに変えたシアトル・シーホークスとの開幕戦ケン・アンダーソンパス15回中5本成功前半だけで3インターセプト喫し0-21リードされた。控えQBジャック・トンプソン負傷していたため、第3QBのターク・ショナートがリリーフし、27-21と逆転勝利した。開幕戦での不調に関わらずアンダーソン残り15試合でわずか7インターセプトしか相手与えずQBレイティングトップとなり、シーズンMVPとなった。またRBピート・ジョンソンは1,077ヤード走った11月8日サンディエゴ・チャージャーズ戦でルイス・ブリーデンの2インターセプトする活躍などで40-17と勝利したこのうち1回102ヤードのインターセプトリターンTDとなっている。 チーム12勝4敗で地区優勝果たし翌年1月3日地元リバーフロント・スタジアムでのバッファロー・ビルズプレーオフ勝利をあげた。1月10日行われたAFCチャンピオンシップゲームサンディエゴ・チャージャーズ戦はフリーザーボウルと呼ばれることになるほどの寒さの中で行われた風速による影響考慮した体感温度氷点下45度となりNFL史上最も低い条件となった27-7ベンガルズ勝利しデトロイトポンティアック・シルバードーム行われた第16回スーパーボウル進出した。この試合メイソン=ディクソン線より北で行われた初めてのゲームとなった。この試合対戦相手であるサンフランシスコ・フォーティナイナーズと共に両チームスーパーボウル初出場であったベンガルズ前半ミス目立ち0-20当時スーパーボウル史上最も点差つけられハーフタイム迎えた後半入り反撃始まり15点差を詰めたが21-26で敗れた敵陣1ヤードまで攻め込みながら4thダウンギャンブルの失敗もあった。ベンガルズはこの試合3つのスーパーボウル記録(ダン・ロスの11キャッチケン・アンダーソンパス成功25回、パス成功率73.5%)を作った勝利につなげることはできなかった。 1982年シーズン11月28日ロサンゼルス・レイダース戦でケン・ライリーが相手QBジム・プランケットから自身記録タイとなる3インターセプトマーク、31-17と勝利した12月20日マンデーナイトフットボールサンディエゴ・チャージャーズ戦でケン・アンダーソンチーム記録となる40本のパス成功させたがチームは34-50で敗れた。このシーズンケン・アンダーソンNFL記録となるパス成功率70.55%を達成最終節オイラーズ戦では20連続パス成功NFL記録作ったプレーオフではニューヨーク・ジェッツホーム迎え撃ったが17-44で敗れた1983年シーズン終了と共にグレッグヘッドコーチは辞任した。4シーズン成績2817であった1984年からベンガルズの元控えQBだったサム・ワイチがヘッドコーチとなったこの年5月チーム過去7年チームのリーディングラッシャーとなったピート・ジョンソンプロ入りから3年で1,471ヤードしか走っていないサンディエゴ・チャージャーズ若手RBジェームズ・ブルックスとトレードした。このトレード大成功ブルックスその後8シーズンチームに在籍し6,447ヤード走りチームのリーディングラッシャーとなった(後にコーリー・ディロンが記録更新)。またプロボウルに4回選ばれた。10月28日ヒューストン・オイラーズ戦でFBのラリー・キンブリューが4タッチダウンチーム記録つくった1986年シーズン9月28日、スーパーボウルチャンピオンのシカゴ・ベアーズホーム迎えた7-44フランチャイズ史上に残る大敗喫した12月21日ニューヨーク・ジェッツ戦でブーマー・アサイアソンが5TDパス投げチーム記録作った。このシーズン最後にケン・アンダーソン引退した1987年9月20日サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦でチーム試合残り54秒、26-20とリードし自陣45ヤード地点ボール持っていた。ここからディレイ・オブ・ゲームなどで残り6秒、自陣30ヤードまで後退した。サム・ワイチヘッドコーチはここでパントを蹴らずにブルックス走らせた相手ディフェンス止められ、2秒を残して攻撃権渡した。ここでジョー・モンタナからジェリー・ライスへの25ヤードTDパス決まりチームは26-27で敗れた1988年シーズンには開幕から6連勝した後、10月16日ニューイングランド・ペイトリオッツ戦でアサイアソンが5インターセプトのチームワーストの記録をつくり敗れた11月6日ピッツバーグ・スティーラーズ戦でWRエディ・ブラウンチーム記録となる216ヤードレシーブ記録をつくり勝利した12月17日シーズン最終週ワシントン・レッドスキンズ戦を延長の末、ジム・ブリーチFG20-17破り12勝4敗で5度目地区優勝果たしたQBアサイアソンはQBレイティングトップとなり、シーズンMVP選ばれた。プレーオフでもシアトル・シーホークスを21-13、バッファロー・ビルズを21-10で破りマイアミジョー・ロビー・スタジアム行われた第23回スーパーボウル出場した試合前夜FBスタンリー・ウィルソンがコカインの使用逮捕され試合出場できなくなった(彼は3度目使用であったためリーグから追放された。)。このためワイチヘッドコーチはキックオフ1時間前にゲームプラン練り直し迫られた。オールプロノーズタックル、ティム・クラムライが第1Q開始早々ロジャー・クレイグタックルした際に負傷退場した第4Qエンドゾーンでルイス・ビラップスがジョー・モンタナパスインターセプトしかけたが、次のプレイジェリー・ライスへのタッチダウンパスが通り13-13の同点となったブリーチFGで16-13とベンガルズリードし、続くキックオフでイリーガルブロックの反則もあり残り時間3分10秒でフォーティナイナーズ自陣8ヤードからの攻撃となったここからモンタナ有名なドライブ始まったライスクレイグへのパスクレイグランフォーティナイナーズボール前進させ、最後ジョン・テイラーへのタッチダウンパスが残り時間34秒で決まり11プレイ92ヤード逆転ドライブ終了したその後反撃失敗し16-20ベンガルズ敗れた1989年シーズン10月29日タンパベイ・バッカニアーズ戦ではアサイアソンが5タッチダウンパスを投げトータルチーム記録となる8タッチダウンをあげた。12月17日ヒューストン・オイラーズ戦で61-7圧勝したが、翌週敗れ8勝8敗でプレーオフ逃した

※この「1980年代 - 強豪時代」の解説は、「シンシナティ・ベンガルズ」の解説の一部です。
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