1980年代 - 強豪時代
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「シンシナティ・ベンガルズ」の記事における「1980年代 - 強豪時代」の解説
1980年代にチームは2回スーパーボウルに出場を果たしたがいずれもサンフランシスコ・フォーティナイナーズに敗れ優勝はならなかった。 1980年からはフォレスト・グレッグがヘッドコーチとなった。12月21日のクリーブランド・ブラウンズ戦でDEのエディ・エドワーズは相手QBブライアン・サイプを5サックするチーム記録を作った。 1981年シーズン、この年よりヘルメットを縞々のものに変えた。シアトル・シーホークスとの開幕戦でケン・アンダーソンがパス15回中5本成功、前半だけで3インターセプトを喫し0-21とリードされた。控えQBのジャック・トンプソンも負傷していたため、第3QBのターク・ショナートがリリーフし、27-21と逆転勝利した。開幕戦での不調にも関わらず、アンダーソンは残り15試合でわずか7インターセプトしか相手に与えずQBレイティングトップとなり、シーズンMVPとなった。またRBピート・ジョンソンは1,077ヤードを走った。11月8日のサンディエゴ・チャージャーズ戦でルイス・ブリーデンの2インターセプトする活躍などで40-17と勝利した。このうち1回は102ヤードのインターセプトリターンTDとなっている。 チームは12勝4敗で地区優勝を果たし、翌年1月3日、地元リバーフロント・スタジアムでのバッファロー・ビルズでプレーオフ初勝利をあげた。1月10日に行われたAFCチャンピオンシップゲームのサンディエゴ・チャージャーズ戦はフリーザーボウルと呼ばれることになるほどの寒さの中で行われた。風速による影響も考慮した体感温度は氷点下45度となりNFL史上最も低い条件となった。27-7でベンガルズが勝利し、デトロイトのポンティアック・シルバードームで行われた第16回スーパーボウルに進出した。この試合はメイソン=ディクソン線より北で行われた初めてのゲームとなった。この試合は対戦相手であるサンフランシスコ・フォーティナイナーズと共に両チームがスーパーボウル初出場であった。ベンガルズは前半ミスが目立ち0-20と当時のスーパーボウル史上最も点差をつけられてハーフタイムを迎えた。後半に入り反撃が始まり15点差を詰めたが21-26で敗れた。敵陣1ヤードまで攻め込みながら4thダウンギャンブルの失敗もあった。ベンガルズはこの試合で3つのスーパーボウル記録(ダン・ロスの11キャッチ、ケン・アンダーソンのパス成功25回、パス成功率73.5%)を作ったが勝利につなげることはできなかった。 1982年シーズン、11月28日のロサンゼルス・レイダース戦でケン・ライリーが相手QBのジム・プランケットから自身の記録タイとなる3インターセプトをマーク、31-17と勝利した。12月20日のマンデーナイトフットボールのサンディエゴ・チャージャーズ戦でケン・アンダーソンはチーム記録となる40本のパスを成功させたがチームは34-50で敗れた。このシーズン、ケン・アンダーソンはNFL記録となるパス成功率70.55%を達成、最終節のオイラーズ戦では20本連続パス成功のNFLの記録も作った。プレーオフではニューヨーク・ジェッツをホームで迎え撃ったが17-44で敗れた。1983年シーズン終了と共にグレッグヘッドコーチは辞任した。4シーズンの成績は28勝17敗であった。 1984年からベンガルズの元控えQBだったサム・ワイチがヘッドコーチとなった。この年5月チームは過去7年チームのリーディングラッシャーとなったピート・ジョンソンをプロ入りから3年で1,471ヤードしか走っていないサンディエゴ・チャージャーズの若手RBジェームズ・ブルックスとトレードした。このトレードは大成功でブルックスはその後8シーズンチームに在籍し6,447ヤードを走りチームのリーディングラッシャーとなった(後にコーリー・ディロンが記録を更新)。またプロボウルに4回選ばれた。10月28日のヒューストン・オイラーズ戦でFBのラリー・キンブリューが4タッチダウンのチーム記録をつくった。 1986年シーズン、9月28日、スーパーボウルチャンピオンのシカゴ・ベアーズをホームに迎えたが7-44とフランチャイズ史上に残る大敗を喫した。12月21日のニューヨーク・ジェッツ戦でブーマー・アサイアソンが5TDパスを投げるチーム記録を作った。このシーズンを最後にケン・アンダーソンは引退した。 1987年9月20日、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦でチームは試合残り54秒、26-20とリードし、自陣45ヤード地点でボールを持っていた。ここからディレイ・オブ・ゲームなどで残り6秒、自陣30ヤードまで後退した。サム・ワイチヘッドコーチはここでパントを蹴らずにブルックスを走らせたが相手ディフェンスに止められ、2秒を残して攻撃権を渡した。ここでジョー・モンタナからジェリー・ライスへの25ヤードのTDパスが決まりチームは26-27で敗れた。 1988年シーズンには開幕から6連勝した後、10月16日のニューイングランド・ペイトリオッツ戦でアサイアソンが5インターセプトのチームワーストの記録をつくり敗れた。11月6日のピッツバーグ・スティーラーズ戦でWRのエディ・ブラウンがチーム記録となる216ヤードのレシーブ記録をつくり勝利した。12月17日のシーズン最終週のワシントン・レッドスキンズ戦を延長の末、ジム・ブリーチのFGで20-17で破り12勝4敗で5度目の地区優勝を果たした。QBアサイアソンはQBレイティングトップとなり、シーズンMVPに選ばれた。プレーオフでもシアトル・シーホークスを21-13、バッファロー・ビルズを21-10で破りマイアミのジョー・ロビー・スタジアムで行われた第23回スーパーボウルに出場した。試合前夜にFBのスタンリー・ウィルソンがコカインの使用で逮捕されて試合に出場できなくなった(彼は3度目の使用であったためリーグから追放された。)。このためワイチヘッドコーチはキックオフ1時間前にゲームプランの練り直しを迫られた。オールプロのノーズタックル、ティム・クラムライが第1Q開始早々ロジャー・クレイグにタックルした際に負傷退場した。第4Qにエンドゾーンでルイス・ビラップスがジョー・モンタナのパスをインターセプトしかけたが、次のプレイでジェリー・ライスへのタッチダウンパスが通り13-13の同点となった。ブリーチのFGで16-13とベンガルズがリードし、続くキックオフでイリーガルブロックの反則もあり残り時間3分10秒でフォーティナイナーズ自陣8ヤードからの攻撃となった。ここからモンタナの有名なドライブが始まった。ライスやクレイグへのパス、クレイグのランでフォーティナイナーズはボールを前進させ、最後はジョン・テイラーへのタッチダウンパスが残り時間34秒で決まり、11プレイ92ヤードの逆転ドライブが終了した。その後の反撃は失敗し、16-20でベンガルズは敗れた。 1989年シーズン、10月29日のタンパベイ・バッカニアーズ戦ではアサイアソンが5タッチダウンパスを投げ、トータルでチーム記録となる8タッチダウンをあげた。12月17日のヒューストン・オイラーズ戦で61-7と圧勝したが、翌週敗れ8勝8敗でプレーオフを逃した。
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