1981年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 02:41 UTC 版)
「マクラーレン・MP4/1」の記事における「1981年シーズン」の解説
MP4/1が使用されるまでは前年までのマシンの改良版であるM29C,M29Fを使用。ワトソンは第4戦サンマリノGPから、チェザリスは第6戦モナコGPから使用した。 MP4/1はワトソンの手によって第7戦スペインGPで3位、第8戦フランスGPで2位を獲得。さらにマクラーレンとワトソンの地元である第9戦イギリスGPでチームに3年ぶりとなる勝利をもたらした。一方、新人チェザリスは時折速さを見せるものの、経験不足から度々ハデなクラッシュを起こしたため、MP4/1でのポイント獲得は叶わなかった。しかし、クラッシュからの無傷の生還を繰り返すことで皮肉にもカーボンモノコックの安全性を証明することになった。
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1981年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/01 09:04 UTC 版)
「ロータス・81」の記事における「1981年シーズン」の解説
このシーズンは「ツインシャーシ」のロータス・88を投入する予定であったが、レギュレーション違反と判定され出走が認められなかった。代わりに81は第5戦まで使用され、その後は87に切り替えられた。新レギュレーションに合わせてスライディングスカートを廃止し、代わりにフロントウイングが追加された。ドライバーは、エリオ・デ・アンジェリスがエースドライバーに昇格し、ナイジェル・マンセルも正式にセカンドドライバーになった。このシーズンの最高位はベルギーGPでマンセルが81を駆って記録した3位だった。なお、タイトルスポンサーは、エセックスから、シーズン途中に復帰したJPSに変更された。エセックスのサポートは1981年いっぱいまで継続された。
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