1988年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 18:06 UTC 版)
「ウィリアムズ・FW12」の記事における「1988年シーズン」の解説
ホンダ・ターボに替わって搭載されたジャッドV8エンジンの戦闘力が未知数だった中、開幕戦ブラジルでマンセルが予選2位を獲得し幸先のよいスタートを切ったが、結局ジャッドエンジン関連のトラブルが以後多発し、極端に完走率が低かった。マンセルはウェットレースの地元イギリスGPで2位を獲得し表彰台に立ち、アクティブ・サスペンションを外したとたんに得た好結果となった。マンセルはツイスティなヘレス・サーキットで行われたスペインGPでも2位となったが、この2レース以外はすべてリタイアという極端な年となった。パトレーゼも終盤3戦連続入賞と健闘するが、ウィリアムズとしては1978年以来10年ぶりのシーズン未勝利となってしまった。 マンセルはシーズン途中水疱瘡に罹患したため2レースで欠場し、ベルギーGPではマーティン・ブランドル、イタリアGPではジャン=ルイ・シュレッサーが代役として出走した。 チームはジャッドとの契約をこのシーズンのみで打ち止めし、翌年以降からはルノーエンジンに変更する事をシーズン中に発表し、シーズン終盤及びシーズンオフでのテストではエンジンをルノーV10エンジンに載せ替えた「FW12B」が登場した。
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