1980年代〜現在
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1981年(昭和56年)3月に政治学者坂野潤治は『福沢諭吉選集』〈第7巻〉(岩波書店)の解説で、「脱亜論」の新しい解釈を提示した。坂野は「脱亜論」を福澤の朝鮮近代化に対する敗北宣言と解釈した。 1996年(平成8年)、比較文学者の井田進也は文体と語彙による起筆者判定方法(井田メソッド)を開発した。井田は『時事新報』の無署名論説に井田メソッドを適用して起筆者を判定している。 2006年(平成18年)、新しく発見された福澤の書簡(田中不二麿宛、1885年(明治18年)4月28日付)によると、「時事新報杯二も専ら主戦論を唱へ候事なり。新報紙面と内実とハ全く別二して、我非を蔽はんとるの切なるより態ト非を云わす、立派二一番之戦争二局を結て、永く支那人二対して被告之地位二立たんとしたるものゝみ」、福澤の「脱亜論」を書く真意をうかがえる。 また、都倉武之は、『福澤諭吉全集』に収録分のみを対象としてではなく、紙面に戻り社説全てを通して検討する試みの必要性を訴えた。都倉のアプローチによる最新研究では、「脱亜論」の文脈が単なる「朝鮮改造論」の敗北宣言だけではなく、朝鮮問題をめぐる日清間のこじれた談判の焦燥感により、日清談判を注視しつづけた欧米諸国に対し親日的な世論を作り上げるための発信の一面もあったと指摘された。
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