フーコン作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
詳細は「フーコン作戦」を参照 フーコン河谷は、ミイトキーナに近いモウガンからシンブイヤン(中国語版)を経てインド国境の"Hell Pass"(英語版)に達する、東西30キロから70キロ、南北200キロの大ジャングル地帯である。米中連合軍がフーコン河谷へ進攻したとき、ビルマ方面軍はインパール作戦の準備に追われていた。フーコン河谷を守備する第18師団に対しては、インパール作戦の勝利のときまで持久するよう任務を課した。 フーコン河谷の連合軍は、スティルウェルの指揮する中国軍新編第1軍(通称「インド遠征軍」)とアメリカ軍第5307混成部隊(通称「ガラハッド」部隊または「メリルズ・マローダーズ(英語版)」)だった。1943年12月24日、中国軍第38師はユパンガを守備する日本軍を攻撃し勝利した。中国兵は日本軍の精鋭部隊に対する初めての勝利に狂喜した。 厳しい環境と日本軍の持久戦により、フーコンでの戦闘はのろのろと続いた。 米中連合軍は日本軍の包囲殲滅に何度も失敗した。孫立人ら中国軍指揮官は補給の困難さを理由に統制前進を行なったためスティルウェルを激怒させた。
※この「フーコン作戦」の解説は、「ビルマの戦い」の解説の一部です。
「フーコン作戦」を含む「ビルマの戦い」の記事については、「ビルマの戦い」の概要を参照ください。
- フーコン作戦のページへのリンク