断作戦の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
第33軍は、フーコン方面から脱出した第18師団を逐次インドウ付近に後退させ、次いでナンカンに集結させて、軍の予備兵器と資材を交付してその再建を図らせた。また、フーコン作戦の末期、第18師団に増加配属していた第56師団の今岡連隊主力(歩兵第146連隊(第1大隊欠))と、第2師団の一刈連隊主力(歩兵第4連隊(第3大隊欠))、野砲兵第2連隊第2大隊をそれぞれ現所属に復帰させた。長期にわたるフーコン作戦とその後の撤退・転進で極度に疲弊した第18師団は、9月中旬から10月上旬にかけてようやくナンカン付近に集結し、戦力の回復に努めた。また、ビルマ南西部から転用された第2師団主力は、空襲による妨害に悩まされつつも、8月29日までに芒市南東地区への集結を終えた。 しかしこの間、ミイトキーナの戦況は最悪の事態に近づき、8月3日に第56歩兵団長の水上源蔵少将が自決、同地は失陥した(ミイトキーナの戦い)。また、拉孟・騰越・平戞・龍陵の各守備隊は、それぞれ優勢な雲南遠征軍の重囲下で連日連夜の猛攻に耐えており、各守備隊から打電される刻々の戦況は日ごとに重大さを増し、電文は悲壮をきわめていた。8月13日には騰越守備隊長の蔵重康美大佐が敵機の爆撃により戦死するなど、戦況は最後の局面に至りつつあり、軍の攻勢開始はもはや一日の猶予も許されない状況となっていた。
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