フーコー 真理/権力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 16:16 UTC 版)
ミシェル・フーコーは、哲学の役割は隠れているものをあらわにするものではなく、今まさに見えているが、あまりにも近くにあるがゆえにかえってその実態が見えなくなっているものを見えるようにするものであるとして、『ニーチェ、系譜学、歴史』(1971年)において、ニーチェの系譜学を批判的に承継し、今日の現実性の中での真理について探求した。彼によれば、私たちを権力者の支配から自由にしてくれるはずの永遠かつ普遍の真理は、現実には権力と結託してきた共犯者であった。伝統的歴史学は、歴史の外に自らの視点を置こうとするが、それは永遠普遍の真理を前提とした形而上学にほかならないとしたうえで、系譜学は、自らが視点が歴史の中に埋没する解釈の一つにすぎないことを認める。そのことによって初めて伝統的な真理概念に引きずられない現実性の真理についての記述が可能になる。系譜学によれば、ある言説が真とされるのはそれが客観的・普遍的に真であるからではなく、「真理への意志」 (volonté de vérité)が働いた結果である。たとえ真理を言ったとしてもその時代の真なるもののうちにいなければ、その言明は「真理」とは見なされ得ない。真偽を区別するのは真理の意思であるが、これは様々な制度によって強化されているが、これはあまりに近くにあるためわれわれが気が付かないように巧妙に作用している。そして、彼は、現代の知識人はもはらアームチェアの上で真理について思索することは不可能であり、むしろ自らが権力の標的であると同時に道具でもあるような場所において、権力のさまざまなかたちと闘ってゆくことが必要なのだと述べ、晩年には、「危険」を顧みず「勇気」を持って「真理」を言うパレーシアの重要性について言及するようになった。
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