フーコーの着想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:19 UTC 版)
1819年、パリに生まれたレオン・フーコーは医者を志し医学校に通っていたが、次第にルイ・ダゲールの写真技術「ダゲレオタイプ」に強い関心を持つようになった。やはり元医学生であったアルマン・フィゾーと協力してダゲレオタイプの改良を行った。1845年にはフーコーとフィゾーは鮮明な太陽の写真撮影に成功した。その後、光の速度の測定を2人で始めるが、装置の方針を巡って喧嘩別れとなり、フーコーは単独で研究を続けることになった。 フーコーは理論家というより、自らの手で実験装置を作っていた技術者であった。フーコーは、望遠鏡の制御に使用する振り子時計の改良を行っていた。このとき、たまたま旋盤のチャックに装着されていた金属棒を振動させて、旋盤をゆっくり回しても振動面が変化しないことを見つけた。次に、フーコーはピアノ線に錘をつけた振り子をボール盤の台に取り付け、台をゆっくり回転させた。やはり、振り子の振動面は変化しないことを確認した。 フーコーは、旋盤やボール盤の回転台を自転する地球に置き換えれば、自転の影響で振り子の振動面の変化が観測できるはずだと考えた。ただし振り子の位置は平面上でなく球面上にあり、振り子が極点から赤道の間のどの位置にくるかによって振動面の運動は変化することに気がついた。この関係について「フーコーの正弦則」と呼ぶが、フーコーは力学理論の素養なしに、直感的に導き出した。
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