朝霞大仏・大梵鐘計画とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 朝霞大仏・大梵鐘計画の意味・解説 

朝霞大仏・大梵鐘計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 07:47 UTC 版)

キャンプ・ドレイク」の記事における「朝霞大仏・大梵鐘計画」の解説

1933年昭和8年)に膝折上の原(現:武蔵大学グランド自衛隊演習地)に根津公園計画立案される。東上鉄道社長であった根津嘉一郎5万坪(約16万平メートル)を購入計画した一大レジャーランド施設である。1935年昭和10年)には購入した根津公園内梵鐘大仏台座製作する鋳造工場を建て梵鐘製作が始まる。京都梵鐘技師である高橋次郎招いて鋳造された。この梵鐘は高さ3.9メートル重さ6,750キロ日本第3位大きさ誇った。またこの年武蔵の原には大仏用の鉄骨造り30mの作業所建設され、この作業所において彫刻家内藤仲による大仏原型作成が行われ、1937年昭和12年)には130万円もの巨費投じて高さ58尺(19.1メートル)、仏身39尺(12.8メートル)、蓮台9尺(2.9メートル大仏原型完成している。 大仏設計者である斎藤歳次郎は「昭和大仏として永久に残るもので、精神をこめてつくり、見て自然と頭が下がるものにしたい」と語っている。なお大仏の本完成前に根津公園には記念碑建立されている。 この年日中戦争勃発その後太平洋戦争時陸軍予科士官学校近隣地区存在した大和田通信所目標になるとされて計画中止され完成していた大仏原型破壊されている。梵鐘金属提供され軍需物資へと成り変わった近年、この大仏計画関係する大燈籠のひとつが東京多磨霊園残っていることが判明している。 米軍進駐後には根津にちなみ「ネズパーク」(正しくは“ネヅ”)と名付けられた。

※この「朝霞大仏・大梵鐘計画」の解説は、「キャンプ・ドレイク」の解説の一部です。
「朝霞大仏・大梵鐘計画」を含む「キャンプ・ドレイク」の記事については、「キャンプ・ドレイク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「朝霞大仏・大梵鐘計画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝霞大仏・大梵鐘計画」の関連用語

朝霞大仏・大梵鐘計画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝霞大仏・大梵鐘計画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのキャンプ・ドレイク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS