東上鉄道とは? わかりやすく解説

東上鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:41 UTC 版)

国鉄400形蒸気機関車」の記事における「東上鉄道」の解説

1914年400 - 402号機が東上鉄道(現・東武鉄道東上本線)に譲渡されA1形1 - 3号機となり、1920年7月東武鉄道との合併に伴いC3形41 - 43号機となり、さらに1924年鉄道院から譲り受けたB541 - 50号機(元6200形)を導入した時点51 - 53機に改番された。その後51, 53号機は1938-39年に日本製鐵譲渡され52号機は1941年三井鉱山三池港務所に譲渡され21号機となり、1951年には三井鉱山美唄鉱業所に移って番号使用された。

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東上鉄道(現東武東上線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 07:41 UTC 版)

星野仙蔵」の記事における「東上鉄道(現東武東上線)」の解説

衆議院議員だった頃から東上鉄道(現、東武東上線敷設多大な貢献をし、東上鉄道の創業当初監査役就任した1902年明治35年)、星野綾部利右衛門川越商人7名と埼玉県川越から直線東京へ結ぶ鉄道(京越鉄道)の敷設計画星野川越地方地元側の中心的な役割果たした人物として東上鉄道(現東武東上線)の建設尽力する1904年明治37年)に衆議院議員初当選同期議員で、後に「鉄道王」と呼ばれた当時著名な実業家初代根津嘉一郎から東上鉄道建設計画の話を聞いて地元財界側の有力者として惜しみない協力申し出た星野回漕問屋「福田屋」当主だったが、河川改修鉄道出現などで新河岸川舟運見限り、東上鉄道の開通に力を注いだその後星野1911年明治44年11月11日の東上鉄道創立総会で、監査役として地元側としてただ一人同社経営陣入った取締役社長には根津就任)。1914年大正3年5月1日待望の東上鉄道の池袋駅 - 田面沢駅間が開通星野お膝元である上福岡駅鶴瀬駅には駅開業記念碑残っており、星野偉業を讃えている。

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