進駐軍の性犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:36 UTC 版)
詳細は「占領期日本における強姦」を参照 特殊慰安施設協会は1945年8月22日に設置されたが、30日に上陸した進駐軍は横須賀や横浜をはじめ、民家に侵入し日本人女性を強姦する事件が多発した。28日、9月2日開業予定の小町園慰安所には機関銃で武装したアメリカ軍兵士達が乗り込みすべての慰安婦たちを強姦した。横浜では、100名を超える武装したアメリカ兵が開業前日の慰安所に乗り込み慰安婦14名を輪姦した。9月1日には野毛山公園で日本女性が27人の米兵に集団強姦された。5日には神奈川県の女子高校が休校した。19日にGHQがプレスコードを発令して以後は連合軍を批判的に扱う記事は新聞で報道されなくなった。武蔵野市では小学生が集団強姦され、東京都大田区 大森では病院に2 - 300人の米兵が侵入し、妊婦や看護婦らが強姦された。これらのアメリカ軍による集団強姦事件はダグラス・マッカーサー元帥やロバート・アイケルバーガー将軍も把握しており、アメリカ軍は強姦から女性を守ろうと設立された自警団に対しては戦闘車両で鎮圧し自警団幹部らを長期間にわたって刑務所に監禁した。進駐軍相手の日本人娼婦(街娼)は「パンパン」などと呼ばれていた。占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている。
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