進駐のいきさつ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 14:33 UTC 版)
「イギリス連邦占領軍」の記事における「進駐のいきさつ」の解説
イギリスは第二次世界大戦では戦勝国となったものの、マレー半島一帯やビルマ、香港やインドの一部など東南アジア一帯の植民地が日本軍の占領下に置かれた上に、本土もドイツ空軍の空襲などのために荒廃したため、1945年8月末より少数のイギリス軍およびオーストラリア軍部隊を東京と横須賀に駐屯させたものの、すぐに日本占領のためのまとまった部隊を送ることができなかった。 しかし、イギリス軍の駐屯ができない場合、アメリカやフランスのみならず、中華民国やソビエト連邦が、日本占領の利権を狙う恐れがあった。 このためクレメント・アトリー首相は、英連邦在豪統合参謀本部の元で急遽イギリス連邦構成国のオーストラリア軍やニュージーランド軍、イギリス領インド帝国に駐留するイギリス軍を中心に「イギリス連邦占領軍」を組織した。 連合国軍間の取り決めにより、イギリスが連合国軍最高司令官総司令部の下で、中国・四国地方をメインに、東京都と神奈川県などの首都圏を補助的に占領任務を行うことが決まった。 終戦から約半年後の1946年2月に日本進駐を開始し、直ちに中国・四国地方の占領任務をアメリカ軍から引き継いだ。
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