進軍の一時停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「進軍の一時停止」の解説
ロンメルの師団は5月17日午前0時にアヴェーヌ(fr)に到着、ついで午前6時にはサンブル川沿いのランドルシー(fr)に到着、さらに午前6時30分にはル・カトー(fr)東部の高地へ進軍した。途中避難民と西へ撤退するフランス兵で道が大混雑していた。フランス兵の大半はロンメルの師団が横を通過しても抵抗することはなく、おとなしく捕虜となった。ロンメルは捕虜にしたフランス兵に対しては武装解除だけして自分で東の捕虜収容所に向かうよう指示した。 進軍中ロンメルは、第7装甲師団の全部隊が後ろから続いていると思っていたが、ロンメルはじめ師団の先鋒がル・カトー東部の高地に到着した時、師団の主力はまだベルギーにいた。師団主力はロンメル初め師団先頭部隊と連絡が取れなくなっており、師団参謀オットー・ハイドケンパー少佐がロンメル少将もローテンブルク大佐も戦死したとみなしたためだった。ロンメルは後に手紙の中で「私はできる限り早く奴を追い出してやる。この若い少佐参謀は第一線から32キロも後方にいながら自分と参謀本部要員が危険な目に合うのではと恐れていた」と激怒している。ロンメルの手元にいたのは二個装甲大隊とオートバイ狙撃兵数個小隊だけだった。これらの部隊はすでに弾薬や燃料を使い果たしていた。軍司令部から「アヴェーヌで進軍を停止せよ」との命令が届いたこともあり(すでにアヴェーヌを超えてル・カトー東部にいたが)、ロンメルはやむなくル・カトー東部でしばらく停止することにした。 ル・カトーのフランス軍から攻撃を受けたが、ローテンブルク大佐に防衛を任せて、ロンメルは装甲車に搭乗して後続の部隊を誘導するために一度アヴェーヌまで戻った。午後4時頃にアヴェーヌで第7装甲師団の主力と合流し、さらにフランス軍から40両のトラックを鹵獲した。 翌5月18日昼に前線のローテンブルク大佐たちと合流した。補給と修理を済ませて午後3時に進軍が再開された。抵抗を受けることなくカンブレーを占領したが、ここで再び進軍停止を命じられた。西方へ向けて進撃するハインツ・グデーリアンとゲオルク=ハンス・ラインハルトの装甲軍団の側面を歩兵部隊の到着まで右翼のホト第15装甲軍団(ロンメルの師団はこの隷下)がベルギー・北フランスの連合国主力の攻撃から守ることになったのである。ロンメルの師団はこの時間を補給と兵の休息に利用した。
※この「進軍の一時停止」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
「進軍の一時停止」を含む「エルヴィン・ロンメル」の記事については、「エルヴィン・ロンメル」の概要を参照ください。
- 進軍の一時停止のページへのリンク