よこた‐きち【横田基地】
読み方:よこたきち
【横田基地】(よこたきち)
U.S.Air Force/JASDF Yokota Air Base.
東京都の多摩中部にある在日アメリカ軍及び航空自衛隊の基地で、沖縄を除くと日本最大の米軍基地となっている。
日本の公的資料では「横田飛行場」と呼称されている。
概要
本基地は東京都福生市、立川市、昭島市、武蔵村山市、羽村市及び西多摩郡瑞穂町にまたがって所在しており、敷地の総面積は7,136km²あり、東京ドームの約150倍に当たる。
この敷地は、書類上では上記の各市町に属するが、事実上日本国の行政権が及ばない「治外法権」地区になっている。
基地内の人口は約10,000人で、内訳は軍人・軍属が約4,000人、軍人の家族約6,000人、日本人従業員2,200人となっている。
在日アメリカ軍司令部や第5空軍司令部が置かれた、極東における主要基地であり、極東地域全体の兵站基地としての機能を有している。
また、(朝鮮戦争において編成された)国連軍の後方司令部が設置されている他、2012年には航空自衛隊の航空総隊司令部などが府中基地から移駐し「航空自衛隊横田基地」が併設された。
当初、同基地は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)に日本軍の「多摩飛行場」として建設され、太平洋戦争(大東亜戦争)中には陸軍の航空機試験場として利用されていた。
終戦後、この飛行場はアメリカ軍によって接収され、「横田飛行場(横田基地)」と改められた。
その後、順次基地の拡張工事が行われ、1960年ごろには現在の規模になった。
拡張に際しては当時の国鉄八高線や国道16号線の経路などが変更された。
朝鮮戦争においてはB-29の出撃基地として機能し、ベトナム戦争ではアメリカ軍の補給基地として積極的に活用された。
現在でも極東地域におけるアメリカ軍の最重要拠点のひとつとして機能している他、関東地方へ向かう民間機(アメリカの航空会社が運航する機材)が羽田空港や成田空港に着陸できなくなった際、その代替着陸場として用いられたり、フランス本土とニューカレドニアなどの海外県を往復するフランス空軍の輸送機が給油・乗員の休憩などのため着陸(テクニカルランディング)することもある。
駐留する部隊
横田空域
本基地の管制塔が航空管制を行うものとして、アメリカ空軍が設定している空域。
正式には「横田進入管制区」と呼び、関東地方と新潟県、山梨県、長野県、静岡県に及ぶ極めて広い空域が含まれている。
この空域は、日本国が領空としている空域でありながらアメリカ空軍の管制下にあり、民間機はアメリカ軍に対して通過のための手続きをしなければ飛行できない。
もちろん、手続きをすれば空域内を飛行できるが、飛行経路を細かく設定する必要があり非常に煩雑なため、羽田から西日本・北陸方面へ向かう民間航空機は、この空域を避けるルートで飛行している。
このことが、関東周辺の航空路が過密化する要因のひとつともなっている。
横田飛行場
横田基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 08:43 UTC 版)
1956年(昭和31年)の横田基地拡張に伴い、立川市と福生市に跨る土地が米軍に接収された。接収地区内を通っていた五日市街道は分断され、西砂町宮沢付近から基地の南側を迂回し、拝島駅付近の武蔵野橋北交差点で国道16号に合流する経路に変更された。立川西砂町郵便局付近に小金井橋方面から見て二股に分かれる交差点があるが、直進方向に伸びる道が旧道、左に折れる道が現道である。国道16号の第五ゲート前交差点から旧来の街道に合流する。 かつての五日市街道との分岐点。右に直進する道がかつての五日市街道。 直進し旧道を進むと、横田基地にぶつかって基地沿いを現道方向へ導かれる。 分断された街道は、もともと基地反対側の第五ゲート前につながっていた。
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