第十一青函丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)
第7船。ほぼ完成状態で終戦を迎え、戦後竣工した。先に就航したW型戦時標準船の運航実績から、ボイラー4缶では定時運航できないことが実証されたため、計画段階よりボイラー5缶で建造された。これに伴い煙突も右舷2本左舷1本の計3本となった。第二次世界大戦終戦に伴い、就航直後より日本を占領下に置いた連合国軍専用船となり、1946年(昭和21年)9月デッキハウス造設、占領終了直前に進駐軍専用船指定解除された。 洞爺丸台風で沈没。船体は車軸室およびボイラー室で三つに破断していた。乗組員全員死亡のため、沈没までの船内状況は不明であったが、たまたま近くで錨泊中の 十勝丸(初代)の船員が、激しいピッチングの後、船内消灯、その直後に、左舷から捩れるような形で船首が立ち上がり、船尾から沈む第十一青函丸を目撃していた。沈没推定時刻の20時頃は、十勝丸(初代)でも既に車両甲板への海水滞留と機関室への海水流入は始まってはいたが、函館湾内で沈没した他船に比べ、2〜3時間も早い急激な沈没であった。二重底新設工事2週間後の事故であったため、これが船体構造に強い不均衡を生じさせたのではないか、また破断した車軸室とボイラー室から数名の乗組員の遺体が発見されたことから、これら区画への急速な浸水が疑われ、転覆前に大亀裂が生じていたのではないか、などの疑問も呈されたが、当時の調査では結論は得られなかった。
※この「第十一青函丸」の解説は、「第五青函丸」の解説の一部です。
「第十一青函丸」を含む「第五青函丸」の記事については、「第五青函丸」の概要を参照ください。
- 第十一青函丸のページへのリンク