青函連絡船での客車航送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:56 UTC 版)
「連合軍専用列車」の記事における「青函連絡船での客車航送」の解説
1946年(昭和21年)2月の1101・1102列車で開始。日本人が乗る列車に関しては1950年(昭和25年)10月から「みちのく」で開始され、その後さまざまな変遷を経て、1954年(昭和29年)9月26日に発生した「洞爺丸事故」で危険と判断され中止されるまで継続した。その洞爺丸事故で沈没した一等寝台車のマイネフ38 5は1202列車のもので、当初第十一青函丸に積載されて出航したものの途中で引き返し、軍人・軍属とともに洞爺丸に移し替えたものだが、その第十一青函丸もこの台風で破壊され沈没した。
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