青函連絡船終航と暫定復活運航とは? わかりやすく解説

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青函連絡船終航と暫定復活運航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 06:20 UTC 版)

十和田丸 (2代)」の記事における「青函連絡船終航と暫定復活運航」の解説

1988年昭和63年3月13日青函連絡船終航の日は、函館第1岸壁15時00分発、青森第2岸壁1855分着の20便で本来の青函連絡船としての終航を迎え折り返し青森第2岸壁1950分発、函館港23時45分着の回航5001便(9便のスジ)で函館戻り以後錨泊3月15日12時50分、函館第1岸壁着岸係船された。 同年6月3日から9月18日までの108日間青函博覧会世界食の祭典協賛し羊蹄丸2代と共に1日2往復暫定復活運航が行われた。本船青森基点に、青森第2岸壁9時30分発、函館第1岸壁1320分着の1便、函館第1岸壁14時15分発、青森第2岸壁1805分着の4便の1日1往復運航で、旅客定員は1,140名、車両航送自動車航送行われなかった。7月9日から9月18日までの72日間停泊中の1930分から翌朝8時まで海上ホテルとして営業し宿泊料金一般用2,500円寝台室は部屋単位発売で4人用個室16,000であった暫定運航終了翌日9月19日青森第2岸壁 12時00分発、函館第1岸壁16時00分着の5011便として回航され、これが津軽海峡自力で渡る最後青函連絡船となった航路自体同日付で廃止)。青函博覧会青森会場公開されていた八甲田丸幾度も汽笛交換しながら津軽海峡出て行った

※この「青函連絡船終航と暫定復活運航」の解説は、「十和田丸 (2代)」の解説の一部です。
「青函連絡船終航と暫定復活運航」を含む「十和田丸 (2代)」の記事については、「十和田丸 (2代)」の概要を参照ください。

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