青函連絡船終航と暫定復活運航
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「十和田丸 (2代)」の記事における「青函連絡船終航と暫定復活運航」の解説
1988年(昭和63年)3月13日の青函連絡船終航の日は、函館第1岸壁15時00分発、青森第2岸壁18時55分着の20便で本来の青函連絡船としての終航を迎え、折り返し青森第2岸壁19時50分発、函館港内23時45分着の回航5001便(9便のスジ)で函館に戻り、以後沖錨泊、3月15日12時50分、函館第1岸壁に着岸係船された。 同年6月3日から9月18日までの108日間、青函博覧会と世界食の祭典に協賛し、羊蹄丸(2代)と共に1日2往復の暫定復活運航が行われた。本船は青森を基点に、青森第2岸壁9時30分発、函館第1岸壁13時20分着の1便、函館第1岸壁14時15分発、青森第2岸壁18時05分着の4便の1日1往復の運航で、旅客定員は1,140名、車両航送や自動車航送は行われなかった。7月9日から9月18日までの72日間、停泊中の19時30分から翌朝8時まで海上ホテルとしても営業し、宿泊料金は一般用2,500円、寝台室は部屋単位の発売で4人用個室16,000円であった。暫定運航終了翌日の9月19日、青森第2岸壁 12時00分発、函館第1岸壁16時00分着の5011便として回航され、これが津軽海峡を自力で渡る最後の青函連絡船となった(航路自体も同日付で廃止)。青函博覧会青森会場で公開されていた八甲田丸と幾度も汽笛の交換をしながら津軽海峡へ出て行った。
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