青函連絡船時代とは? わかりやすく解説

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青函連絡船時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:15 UTC 版)

大雪丸 (初代)」の記事における「青函連絡船時代」の解説

1947年昭和22年3月26日 - 三菱重工神戸造船所にて起工 1948年昭和23年3月13日 - 進水10月25日 - 竣工 11月27日 - 就航 12月16日 - 洞爺丸型による1等寝台車マイネ40形航送開始 1950年昭和25年12月 - レーダー装備飯野産業舞鶴造船所1951年昭和26年5月18日 - 浮流機雷流入のため洞爺丸型による寝台車航送休止 1953年昭和28年12月1日 - VHF無線電話運用開始出力25W) 1954年昭和29年1月31日登支、浦町石崎無線標識廃止3月31日久根別沖館無線標識廃止 9月26日 - 洞爺丸台風遭遇 17:25 - 乗客車両降し函館第2岸壁離岸 17:40 - 防波堤内に錨泊19:16 - 防波堤内は輻輳しており、防波堤外への脱出決定抜錨開始抜錨中日高丸接近19:20 - 右舷錨が第六青函丸左舷中央部接触 19:31 - レーダー頼り防波堤外へ脱出 19:40 - 防波堤外に投錨 19:58 - 走錨激しく防波堤接近 20:07 - 機関停止したが1分ほどで回復抜錨完了後、涌元目指し前進 21:10 - 葛登支岬灯台並航、風速40m。 21:40 - 操舵機室浸水のため操舵不能以後両舷機の種々使用針路維持22:00 - 潤滑油ポンプ故障、約5分間主機械停止9月27日 0:10 - 木古内知内沖に投錨航行不能となる。 15:40 - 補助汽船「かつとし丸(初代)」の助け操舵機室排水完了9月28日 6:05 - 抜錨人力油圧ポンプ操舵函館港外まで航海し以後補助汽船「かつとし丸(初代)」と「おいわけ丸」に曳航され8:35函館港投錨10月8日 - 3002便(函館第2岸壁3:50青森第2岸壁8:30着)から復帰 1955年昭和30年12月 - 下部遊歩甲板 水密丸窓重力型ボートダビット装備新三菱重工神戸造船所1956年昭和31年6月1日1等船室2等A寝台格下げし、2等寝台2等B寝台とした。 1958年昭和33年4月 - 2等B寝台撤去し2等婦人雑居室とし、右舷下部遊歩甲板3等椅子席の船尾部分を2等雑居室に改装1960年昭和35年3月 - 船尾水密扉設置 ボイラー重油専燃化 6缶から5缶に 塗装変更川崎重工神戸工場)5,855.01総トン7月1日 - 国鉄が、従来2等1等に、従来3等2等呼称変更し、3等呼称廃止した1961年昭和36年6月 - 第2レーダー装備 7月2日 - 1等出入口広間から喫煙所にかけての広間1等指定椅子席として背ずりが65度まで傾くリクライニングシート60設置10月1日 - 特急接続便の1便4時25運航 2便4時30運航1964年昭和39年8月31日 - 13便(青森第2岸壁6時20分発 函館第2岸壁10時50分着)を以って青函航路終航

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青函連絡船時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:21 UTC 版)

大雪丸 (2代)」の記事における「青函連絡船時代」の解説

1964年昭和39年7月7日 - 三菱重工業横浜造船所にて起工 10月30日 - 進水 1965年昭和40年4月20日 - 竣工 4月25日 - 函館港回着 4月29日7210便(函館4岸14時40分発 青森2岸1920分着)より試運航 5月9日主機カップリングボルト焼損にて試運航休航 5月11日 – 変7210便(函館1岸14時10分発 青森2岸1920分着)で試運航復帰 5月16日 – 4便(函館2岸18時30分青森2岸2220分着のところ2251分着)より就航 1966年昭和41年8月17日青森2岸2時20分発の9153便として航行中、5時38濃霧の中、函館港防波堤灯台より2600.5海里貨物船だいせん丸」(1,233トン)と接触船首ブルワーク軽微な損傷函館2岸6時10定時1970年昭和45年5月25日総トン数5,375.99トンに減トン 1972年昭和47年1月20日 - 33便(青森1岸5時05分発 函館2岸8時55分着)札幌オリンピック聖火輸送 1973年昭和48年12月28日 - 旅客定員通年1,3301974年昭和49年4月1日荒天航行中右舷アンカーリセス部破口生じ海水浸入 1977年昭和52年3月7日 - 国鉄青函航路開設70年目を記念し連絡船の「シンボルマーク」を発表大雪丸は「大雪の熊」 7月遊歩甲板後壁へのシンボルマーク取り付け 1978年昭和53年3月 - 船楼甲板室両舷へのシンボルマーク取り付けレーダー情報処理装置CAS装備 3月31日 -「サロン海峡営業開始、(グリーン自由椅子44撤去旅客定員1,2861981年昭和56年2月 - 後部通船左舷椅子席と右舷雑居席の間の壁を撤去し、両舷通し大部屋雑居席とし、映写スクリーン放送設備設置 1987年昭和62年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道継承される同時に船籍港東京港より函館港に、ファンネルマークが赤のJNRから黄緑JR変更された。 1988年昭和63年1月6日 - 検査期限切れのため、変151便(青森1岸5時35分発 函館2岸9時30分着 乗用車航送貨物便)で終航、青函航路終航(同年3月13日)に先立つこと約2ヵ月であった以後売却まで有川桟橋函館3岸)に係留

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