遊歩甲板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)
上部船楼甲板中央部区画の後端両側と前端中央部には、それぞれ新設甲板室屋上へ上る階段があり、この屋上遊歩スペースは操舵室のある航海甲板と同層であったが、つながっていなかったこともあり、遊歩甲板と称した。この、前部煙突の直後から、船尾係船作業場直前に至る、広大な遊歩スペースは、一般旅客に開放された一平面ものとしては青函連絡船最大の広さであった。
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遊歩甲板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:47 UTC 版)
車両甲板天井に相当する遊歩甲板は、船首係船作業場以外は全て旅客用甲板室であった。船首部分の三角形の露天部分中央には、洞爺丸型や檜山丸型同様、揚錨機が1台あり、両舷の錨の投揚錨を行った。また揚錨機本体の両側面にはワーピングドラムという水平軸で回転する糸巻き形のドラムが突出しており、これに、フェアリーダーという甲板縁に設置された係船索の向きを変える滑車を通して、岸壁とつないだ係船索を巻き付けたうえ、甲板員が3人がかりでこの係船索を引いたり緩めたりして、係船索とワーピングドラムの間の摩擦を調節しつつ、係船索を巻き込んで着岸していった。船首にはこのほかに、この揚錨機の前方の船体中心線上に垂直軸で回転するキャプスタンもあり、これもワーピングドラムと同様の使われ方をしたが、この動力も揚錨機からシャフトと歯車で伝えられていた。係船機械は洞爺丸型ではシンクレア流体継手を介した交流電動式であったが、本船では檜山丸型同様汽動式に戻った。 遊歩甲板室は広く、両舷と船尾側の周囲には幅1~2mの遊歩廊が設けられ、左舷の中ほどの遊歩廊外側柵には、2ヵ所の2等乗船口が設置されていた。甲板室前端から約12mまでの部分には定員164名の畳敷にカーペットを敷いた2等雑居室が設置されていた。羊蹄丸型ではこの区画は2等A寝台室区画であったが、前述の通り端艇甲板に上がった。その後方には左舷に男子トイレ・洗面所、右舷に婦人トイレ・洗面所があり、その間の船体中心線上の幅1.4mの廊下を通り抜けると、幅2.8mに広がるが、その中央は端艇甲板の寝台室区画から降りて来る幅1mの階段に占められた。ここで両舷をつなぐ幅2.5mの通路と交差するが、この丁字状のスペースを2等出入口広間と称し、広間左舷前側に売店、右舷前側には案内所があり、両舷には遊歩廊への出入口があった。 この狭い2等出入口広間の後方は2等椅子席で。まず客室全幅に、3人掛け椅子席が横5列、たて4脚が、後ろ向き前向き、後ろ向き前向きの順に並び、小テーブル付きの向かい合わせボックス席が10組60名分設置された。この横5列のうち、2列目と3列目、3列目と4列目の間隔が約1.2mと広く、前後につながる2本の通路を形成していた。両通路にはさまれた3列目は、上記4脚より後方は幅約2.2mの前部機関室囲壁となるため、2本の通路はこの機関室囲壁の両側面を後方へと通じた。左舷側は同じ椅子を以後全て前向きに2列8脚、48名分設置され、左側通路はその後方の2等食堂入口に突き当たるが、ここで前部機関室囲壁が途切れ約1mの間隔を置いて後部機関室囲壁となり、この前後囲壁間と食堂前を通って両舷を結ぶ1m幅の通路と交わる。食堂の後方には配膳室が隣接していた。同じく右舷側は定員55名の畳敷にカーペットを敷いた2等雑居室があり、上記両舷を結ぶ通路と交差し、さらに定員69名の畳敷にカーペットを敷いた2等雑居室、と続き、右側通路は定員20名の畳敷にカーペットを敷いた2等雑居室に突き当たって、右舷側へ曲がり、右舷遊歩廊へ出ていた。ここまでが2等船室で、甲板室前端から約54mであった。 ここより後端までの約33mは大広間の定員488名の畳敷き3等雑居室であった。大広間の前端には両舷をつなぐ幅1.2mの通路があり、この通路の右舷端から前方向に中甲板に降りる階段が設置され、また中ほどにも両舷をつなぐ幅1.8mの通路があり、ここは3等出入口広間と呼ばれた。この通路両端付近からも、前方に向け中甲板へ降りる幅1.2mの階段があり、この右舷階段降り口横には売店と船客掛控室が配置された。 洞爺丸型同様、天窓が多用されており、客室通路、食堂、配膳室のほか、本船では機関室囲壁幅が広かったこともあり、煙突下の甲板室直後の端艇甲板上の機関室囲壁天井にも天窓が設けられて、機械室まで自然光が入った。 また、前部2等雑居室とその後ろのトイレ・洗面所の間の隔壁と、左舷の配膳室と右舷の定員20名の2等雑居室の後壁で、後ろの3等雑居室との間の隔壁はともに防火隔壁で、遊歩甲板室は長さ方向に3つの防火区画に分割されていた。
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