上部船楼甲板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)
新設甲板室の2階相当の上部船楼甲板は、左舷側だけ、それも2階部分だけが4mほど船首側に突出しており、そこに乗船口が設けられた。これは、この型の船は普通船室だけのモノクラス制であったが、客室の大部分が津軽丸型ではグリーン船室のあった遊歩甲板の高さに相当する上部船楼甲板に配置されたため、乗船口を津軽丸型のグリーン乗船口の位置に合わせて、桟橋タラップを共用するためであった。なおこの突出部分の先は新設の前部消音器室2階部分につながっていた。この新設甲板室2階の上部船楼甲板は、この突出部分の乗船口も含め、前部、中央部、後部の3つの防火区画に分かれており、乗船口から出入口広間後壁までが前部区画であった。乗船口から入り、右折して船尾側へ進むと出入口広間で、その船首側には案内所が、左舷船尾側には売店が配置され、売店前左舷側は椅子とテーブルを備えたロビーで、右舷側には定員30名のカーペット敷き雑居室が2部屋あり、うち船首側の部屋は婦人席となっていた。 出入口広間から船尾側へ進むと、中央部区画で、この区画の中央部を前後方向に幅約5.3mの後部消音器室囲壁が占拠するため、この区画は右舷の雑居席と左舷の椅子席に分けられた。右舷雑居席は手荷物棚で仕切られたカーペット敷き雑居席が4区画、定員144名であった。津軽丸型の前部右舷雑居席に似ていたが、消音器室囲壁の幅が広いため通路の窓側にのみ雑居席が設けられた。 左舷椅子席も津軽丸型前部左舷椅子席に似ていたが、消音器室囲壁幅が広かったほか、この囲壁に沿って乗船口から後部区画へ通じる広い通路を確保しなければならなかったため、消音器室囲壁側面では、この通路と仕切る手荷物棚と甲板室の左舷舷側壁にはさまれた区画には2人掛けシートが2列、中通路2 – 2配置の列車スタイルの椅子配置となり、窓側19脚、内側17脚の72名となった。また消音器室囲壁前方の中央部に2人掛けシート横3列で前後4脚ずつ24名の計96名分の椅子席が設置された。左舷側の窓割りも津軽丸型に準じ、シートピッチに合わせた小窓19個となった。この当時新製中の在来線特急車両の普通席はリクライニングシートであったため、これらの椅子席も方向転換機能を省いた同等品が採用され、青函連絡船初の普通席リクライニングシートとなった。さらに船尾側へ進むと後部区画で、定員270名のカーペット敷き雑居席の大広間になっており、通路で左舷、中央、右舷の3区画に仕切られ、それぞれが低い手荷物棚で、さらに3区画ずつに不完全に仕切られた形は、津軽丸型の1980年(昭和55年)の後部椅子席撤去改装後の後部普通座席と似た造りであった。その後ろにトイレ、洗面所、シャワー室が設置されていた。
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