一般配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 03:28 UTC 版)
第二青函丸では、端艇を遊歩甲板(第三青函丸の船橋楼甲板に相当)の甲板室屋上に載せていたため、ここを端艇甲板と称したが、本船では、広くなった船橋楼甲板の後部両舷に端艇2隻ずつを懸架し、船橋楼甲板室の屋上には端艇がなくなったため、ここを遊歩甲板と称した。この甲板室2階の遊歩甲板には、第二青函丸同様、個室の甲板部高級船員居室が配置されたほか、第二青函丸では1層下にあった無線室も上がってきた。甲板室1階の船橋楼甲板には個室の機関部・事務部の高級船員居室、高級船員食堂とその厨房、事務室等が設けられた。甲板室3階の航海船橋には第二青函丸と同様、両舷に張り出した操舵室が設けられたが、その平面形状は、前面を丸く張り出し、その下に続く甲板室前面の遊歩甲板遊歩廊、船橋楼甲板遊歩廊の各ブルワークも操舵室前面に揃えて同様に丸く、船橋楼甲板の遊歩廊は更に両舷側の遊歩廊にもつながり、後部煙突基部まで続いて、これらが白く塗装され、前面の丸くなった甲板室が視覚的に強調された。 船橋楼甲板船尾端中央部には、後部船橋が設けられた。青函連絡船では前進で入港し、岸壁直前で補助汽船の助けを借りて右回頭する着岸操船法が翔鳳丸型による車両航送開始時以来採られたため、港外で回頭後、後進で入港することを想定して装備された翔鳳丸型と第二青函丸の船首舵は有効に使用される機会がなく、本船以降の青函連絡船には船首舵は装備されなかった。このため、後部船橋内には上記5隻で装備された舵輪も装備されなかった。しかし車両積卸しを目視しながらヒーリング装置の遠隔操作を行う場所としては、後述の理由でその重要性を増していた。 第二青函丸では、船首楼2階の低船首楼甲板と呼ばれた部分は、本船では、車両甲板船首の中2階となり、“Partial Deck”あるいは“部分甲板”と呼ばれ、定員数名から十数名の2段寝台室の甲板部員居室、浴室、トイレが配置され、その下の車両甲板船首部には甲板部員用の食堂、機関部員用浴室、トイレが配置された。更に車両甲板下の錨鎖庫後ろに隣接する第1船艙の第二甲板に、やはり定員数名から十数名の2段寝台室の機関部員居室と機関部員食堂が設けられた。なお“馬匹付添人”等の“その他の者”には、車両甲板下、機械室後ろ隣の車軸室第二甲板に3等船室レベルの雑居室を設けて対応した。第1船艙の後ろには水密隔壁を隔て両舷にヒーリングタンクを抱えた第2船艙があり、更にボイラー室、機械室、車軸室、第3船艙、操舵機室と続き、全通の2重底であった。
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一般配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)
船楼甲板前部は船首係船作業場で、船首から甲板室前面までの距離が津軽丸型より10m程度長い約26mとなり、揚錨機と3台のウインチが設置されている。旅客扱いしないため、1955年(昭和30年)建造の青函航路初のディーゼル車両渡船 檜山丸型同様、甲板室は3層の小規模なものであったが、檜山丸型では就航時の乗組員数は79名であったのに対し、渡島丸ではその後の自動化の進展により40名に減少したため、普通船員室を4人部屋から2人部屋にしたが、それでも甲板室の前後方向約30mと檜山丸型より8mも小さくなり、前部煙突を載せた1層の前部消音器室とは1.2m程度隔てた別棟となった。このため、甲板室上部船楼甲板後端と前部消音器室頂部とをつなぐ幅1.5m程度の架橋が架けられていた。なお檜山丸型以来続いてきた上部船楼甲板室や無線通信室の角窓はコストダウンのため船長室以外は丸窓化されてしまった。 操舵室は津軽丸型同様、船楼甲板の2層上の航海甲板最前部に、全幅にわたり、さらに両翼を舷外へ約1mずつ張り出して設置された。その後ろに隣接して右舷に無線通信室、電池室、左舷に電気機器室が配置され、操舵室から無線通信室へ直接行き来できる扉が設置され、通信士は後ろ向きに業務する機器配置になっていた。1層下の上部船楼甲板には高級船員室、その下の船楼甲板には普通船員室と高級船員食堂、普通船員食堂、厨房が配置された。なお、船員居住区は車両渡船ではW型船以来、全て船楼甲板より上に配置されていた。 前部消音器室前部左舷寄りに水密辷戸動力室が置かれたが、水密辷戸数が4ヵ所に減ったため1系統となり、ここだけとなった。船楼甲板右舷の前部消音器室横のボートダビットには定員6名の35馬力ディーゼルエンジン付FRP製救助艇1隻が懸架されていたほか、同所両舷には膨張式救命いかだが2隻ずつ格納され、対応する網梯子も両舷に格納されていた。 前部消音器室から後方、約20mの間隔をおいて1層の後部消音器室があり、屋上には後部煙突兼マストが載っていたほか、右舷には外注の機関整備員室、左舷には貨車添乗員室が設けられた。 船楼甲板船尾部は船尾係船作業場となっており、ウインチが2台設置されていた。船尾中央部には車両甲板船尾開口部上にせり出す形で、車両積卸しを目視しながらヒーリングポンプ操作ができる箱型のポンプ操縦室が設置され、その屋上は両翼舷外まで張り出した入渠甲板で、出入港時の船尾扉開放状態でも船尾監視ができるようになっていた。 このように、船楼甲板は前部消音器室より船尾側には後部消音器室以外目立った構造物はなく平坦な構造で、当時の青函航路の逼迫した貨車航送事情を反映し、この広大なスペースに国鉄5トン積みコンテナを50個積載する計画があり、後部煙突兼マストに設置された機関部品積卸し用のデリックは、非使用時には左舷後方へ振られ、コンテナ積載の邪魔にならないよう配慮されていたが、結局このコンテナ積載は実現しなかった。 車両甲板より下は津軽丸型同様12枚の水密隔壁で13の区画に分けられ、隣接する2区画に浸水しても沈没しない構造となっていた。船底は船首タンク、第1ボイドスペース(津軽丸型の第1船室船員食堂相当)、船尾トリミングタンク以外は二重底で、発電機室、第1主機室、第2主機室、第2補機室の4区画については、両側面にも前方から2対のヒーリングタンクと1対の清水タンクを置いて二重化され、うち清水タンクには非対称浸水による船体傾斜を軽減するクロスフラッディング装置が設けられていた。旅客設備がないため空調用冷凍機の搭載がなく、第1補機室はヒーリング装置だけとなり、発電機室の水密区画内の船首側船艙部分を非水密壁で区切って第1補機室とし、ここにヒーリング装置を置いた。津軽丸型では第1主機室水密区画船首側中段にあった総括制御室を発電機室水密区画内の船首側中段、この第1補機室直上に配置した。このため、車両甲板上の船2、3番線間のプラットホームから船尾方向へ階段を降りると、他の機関室を通ることなく総括制御室へ行けた。なお電子機器の多い総括制御室と航海甲板の電気機器室には冷房のため、それぞれパッケージエアコンが設置された。 津軽丸型で第1補機室に充てられていた水密区画は第2ボイドスペース(空タンク)となり、その前方2区画は津軽丸型では船員居住区や船員食堂に充てられていたが、渡島丸型では、これらは全て船楼甲板上に配置されたため、倉庫と第1ボイドスペースとなった。可変ピッチプロペラ管制装置のある第3補機室の後ろに隣接する水密区画は、津軽丸型では「その他の乗船者」室であったが、これも船楼甲板上の後部消音機室両側と厨房付近へ上がったため、ここは船底から車両甲板にまで達する大きな船尾トリミングタンクとなった。このため、機関室中段高さでの通路は第3補機室で行き止まりとなり、第3補機室右舷後方から車両甲板右舷へ上がる階段が設置された。船尾トリミングタンク後方に隣接する操舵機室へは、車両甲板両舷側の階段から出入する構造となった。発電機室から第3補機室までの5区画を仕切る4枚の水密隔壁の機関室中段の高さに設けられた開口部には、通常は開放されているが非常時は閉鎖される電動油圧式の水密辷戸(すいみつすべりど スルースドア Sluice door)が設置されており、その動力機械(油圧ポンプ)は船楼甲板前部消音器室前側の水密辷戸動力室に、停電後も全ての辷戸を10回以上開閉できる油圧を貯留するアキュムレーター(蓄圧器)とともに設置されたが、水密辷戸の設置数が津軽丸型の8ヵ所から4ヵ所に減ったため、この1系統だけとなった。
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