艇型とは? わかりやすく解説

艇型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:05 UTC 版)

第一号型駆潜特務艇」の記事における「艇型」の解説

用途としては、沿岸における哨戒対潜攻撃想定し、また港内での交通艇の用途や、曳船にも使えるよう考慮された。設計逓信省木船規定準拠し戦時の急速建造考慮して構造工作方法決定した実際の建造では計画より1年程度遅れたが、木材入手困難と、それ以上主機量産の遅れが影響したという。特に工事簡易化はされなかったが、艤装品の簡易化最後の艇若干が垂直煙突マスト採用した。また操舵室機械室などに防弾板を設置した。これらにより復元性若干低下したので、後期の艇はバラスト搭載した主機飛行機救難船に搭載して好評だった中速400馬力ディーゼル搭載量産考慮して1軸とした。当時漁船は7から8ノット速い船でも9ノット程度であり、計画11ノット駆潜艇としては遅くても、漁船としては速いのだった。これを実現するために船体長さ増し、その構造頑丈にして対処した発電機として15kWと6kWのディーゼル発電機搭載した。船の大きさ割には有力な装備であり、後の磁気機雷掃海の際に掃海具そのまま電流流せ、本型が活躍できる一因にもなった。 爆雷九五爆雷18搭載し手動投下一型6基、同二型2基を設置する計画だったが、実際には5個載投下台(投下軌道)2組爆雷庫内に12個の計22個を搭載した兵装(ソナー)は、吊下式水中聴音機931型探信儀を各1組搭載する計画だったが、実際探信儀軽便探信儀搭載し、後に三式2型探信儀変更となった機銃当初7.7mm機銃1挺だった。試作艇の完成図によると船橋前に7.7mm機銃1挺を装備している。機銃その後1943年に13mm単装機銃、更に1945年に25mm単装機銃変更された。外線部隊の艇では爆雷搭載量10個に減らし後部機銃1挺を追加した。「あ号作戦後の兵装装備状況調査」で1943年から1944年時点で第34,40,48,64,65,79,198号が13mm単装機銃2挺を装備した記されている。

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艇型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 01:47 UTC 版)

第一号型掃海特務艇」の記事における「艇型」の解説

設計できるだけ簡単な構造艤装とし、艇型はトロール漁船そのままであり、戦争起こらずに本型が必要なくなった場合には、簡単に漁船改造できるよう考慮されていた。主な変更点として船艙部分兵員居住区弾薬庫などにされた外、機械室へは船橋から船内通って行き来できるようにしたくらいだった。なお舵取機械当初手動の桿鎖式だったが、後期の艇はスピンドル式に変更された。 兵装船首に短8cm高角砲1門を装備、7.7mm単装機銃1挺は船橋上に装備された。その他爆雷搭載しており、対潜戦闘にも従事した汎用艇だった。 竣工後の変更として、掃海作業用後部甲板部分が狭く、後に上部構造後端にあった浴室廃止して作業甲板広げた機銃終戦時、25mm単装機銃2挺から4挺が装備されていた。「あ号作戦後の兵装増備状況調査」によると1944年8月20日付け報告で「第6号」が船橋前に機銃台を設けて25mm単装機銃を1挺、煙突直前の上構造物上の左右舷に機銃台を設けて1挺ずつ、上部構造物上後端後部マスト直後に1挺、合計25mm単装機銃4挺を装備していた。また「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR(終戦時日本海軍艦艇)」によると船橋前部機銃台を設けたのは「第6号」のみで、他の艇は船橋(またはメイン・マスト直後)の左右舷に1挺ずつ、後部マスト直後に1挺、また船橋上の機銃残し計4挺を装備したマスト前部後部共に単マストだったが、「第13号」は後部が3脚マスト、「第14号」は後部支柱1本を加えた2脚形式だった。また第11,12,17,18,19,20,22号の各艇はアンカーリセスを設けた

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艇型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 02:20 UTC 版)

第一号型哨戒特務艇」の記事における「艇型」の解説

設計木造漁船規定適用され一般配置漁船大差無く戦争終結後容易に漁船改造できるよう考慮された。漁船との違い船艙(艙)に当たる部分前部兵員室を設けた。また前部兵員室と機械室の間には糧食庫と冷蔵庫設け、その下方には鋼製重油タンク設けて航続距離延長図った前部マスト船橋前方設置したが、複数の艇では船橋直後設置したものもあった。 機関第一号型駆潜特務艇と同じで、当時量産されていた中速400馬力ディーゼル搭載した計画速力9ノット対す必要馬力は約250馬力で本艇では約9.3ノット出せ力量エンジンだったが、当時選択余地無かった力量余裕荒天時速力低下を防ぐという良い点もあった。また哨戒中の燃料節約のため、後部マストに帆を張って帆走することも計画され、帆ブーム設けられていたが、帆走建造途中で断念する至った兵装船首機銃台を設置し25mm連装機銃1基を搭載した船尾には4個載の爆雷投下軌道2組設置爆雷8個を搭載する計画だった。電探24電探搭載計画していたが、実際に13号電探船橋後部煙突直前搭載された。逆探船橋トップ舷側部に設置確認される。 「第1号」が1945年3月末に横須賀竣工し、その審議結果、以下の改正施された。 操舵室機械室側方に10mmHT鋼を防弾板として装着した重心計画より高い位置となったので砂利バラスト(計画32トン)が更に10トン増載された。また後期艇は煙突を約300mm低め、その径も小さくされた。 「第1号」は軽便探信儀搭載したが、以降の艇は新式三式3型探信儀船底装備することに改められた。 爆雷を8個から三式爆雷12個に増載し投下軌道延長、そのため上部構造物内にあった浴室廃止した代償重量として4m通船撤去したが、以後そのまま搭載していた艇もあった。 また同年4月沖縄戦始まり上記改正同時に以下の改正施された。 25mm単装機銃後部マスト直前後部構造物(烹炊室)上の両舷に1基ずつ増載された。 前部25mm連装機銃台の左右に12cm連装(または単装)ロケット砲を1基ずつ装備した二式魚雷用落射台を船体中央両舷のブルワーク上に1基ずつ装備した必要に応じて魚雷2本を供給する予定だった。 なお、電線20,000mを搭載とする文献がある。

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艇型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 16:38 UTC 版)

網代 (敷設艇)」の記事における「艇型」の解説

一般計画要領書のH13第460艦型注釈として「註. 上記計画ハ(以下記載ノモノモ同様)急速建造艦ニシテ第一七〇号艦ノ計画ヲ其ノ侭使用ス.」(第一七〇号艦は「平島」のこと)とあり、主要要目平島型と全て同一である。ただし舵のみ平島型では半平行舵だったが、網代では平行舵として面積増大し旋回半径小さくする計画だった。また機銃マル急計画の「網代」以下14隻は平島型と同じ13mm連装機銃1基の計画だった。

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