戦争終結後
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「チャン・ヴァン・チャ」の記事における「戦争終結後」の解説
南北ベトナム統一後も南部にとどまり、1976からはホーチミン市(旧サイゴン市)周辺を管轄する第7軍区司令官兼政治委員を務めた。1976年のベトナム共産党第4回党大会において党中央委員に選出。同年、第6期国会議員に選ばれる。隣国カンボジアのポル・ポト政権による越境攻撃に際し、独断で報復攻撃を準備したことを中央に咎められて失脚し、1978年に国防次官に棚上げされた。1981年、国会議員を退任。1982年、第5回党大会において党中央委員から外され、同年に国防次官も解任された。 引退の後、彼は回想録を書くこと集中し、また多くの社会活動に参加した。1982年、彼は著書『30年戦争の終結』を出版し、その本の中で彼は、テト攻勢における総攻撃に際し、自軍の能力を過大評価し、アメリカ軍及び旧南ベトナム軍の能力を過小評価し、多くの共産党指導者が主観的判断を下したと記している。本は非正統的とみなされた観点ゆえに発禁処分となり回収された。 1980年代後半には南部における非官製組織「旧抗戦クラブ」の上級顧問として参加し、共産党への批判を強めた。しかし、1990年3月に官製組織「ベトナム退役軍人会」の南部指導者に任命されている。さらに1992年11月には退役軍人会第1回全国代表大会において、同中央執行委員会副主席に選出された。 1996年4月20日、ホーチミン市において死去した。
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