設置数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:09 UTC 版)
男子の旧制中学校に比べ高等女学校の設置数は多く、女子が普通中等教育を受けるだけの門戸は広かった。1910年(明治43年)には193校であった高等女学校数はわずか10年後(1920年(大正9年))で倍増し、在籍する生徒数も1925年(大正14年)には5倍近くまで膨れ、在籍生徒数も同時期の(男子の)中学校在籍者数を上回るほどだった。男子の教育が“農業・工業等の産業従事や兵役への即戦力”の育成が求められた結果、中学校進学を制限する必要があったのに対し、社会進出が制限された女子への教育はそこまでの必要性がなかったからと思われる。実科高等女学校が設置されていったことも、都市部だけでなく農村部にも高等女学校が普及していくきっかけとなった。旧制中学校は設置が事実上制限されていて、都道府県市町村が自由に設置できなかったが、高等女学校についてはそこまで制限が厳しくなかった。 1905年には5%にも満たなかった高等女学校進学率は、女子の尋常小学校就学率がほぼ100%になる1910年辺りから徐々に高まり、1920年には9%、1925年には15%近くにまで上昇し、ほぼマス段階に入った。
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