客載車両渡船化とは? わかりやすく解説

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客載車両渡船(デッキハウス船)化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)

第五青函丸」の記事における「客載車両渡船(デッキハウス船)化」の解説

ここで迅速に行え旅客輸送増強策として、上記沈座事故から修復工事中の第八青函丸に、1946年昭和21年4月船橋楼甲板の本来の甲板室前後定員535名の木板張り平屋旅客用甲板室(デッキハウス)を造設して客載車両渡船とし、同時期「続行船」として建造中の第十二青函丸では、船橋楼甲板前後鋼製平屋旅客用甲板室(デッキハウス)を造設し、同じく続行船」で建造中の石狩丸にも同様の鋼製デッキハウスが造設された。また、この時期就航中であった第十一青函丸では、1946年昭和21年7月機関故障工事中同年9月同様の鋼製デッキハウス造設工事が行われ、戦災修復工事中の第六青函丸でも、1947年昭和22年1月ボイラー増設工事同時に同様の鋼製デッキハウスが造設され、就航中第七青函丸でも、1947年昭和22年9月ボイラー増設工事同時に同様の鋼製デッキハウスも造設され、これら6隻の客載車両渡船は「デッキハウス船」と呼ばれた。しかし1946年昭和21年6月17日には、就航中および以後竣工予定の全デッキハウス船が進駐軍専用船指定され一般旅客輸送力増強目論見頓挫した。 翌1947年昭和22年7月21日第十一青函丸第十二青函丸石狩丸の3隻以外は指定解除されたが、これより前の同年4月進駐軍命令で、これら3隻の前部デッキハウス客室内前側右舷半分木製壁で区切り将官用の特別室とした。さらに、その後ろに続く前部デッキハウス客室右舷半分長椅子ソファーと長テーブル設置した食堂とし、その後ろの配膳室拡張して厨房とする工事が行われ、これら3隻の乗客である進駐軍関係者への供食設備充実図られた。結局この3隻はサンフランシスコ講和条約発効先立つ進駐軍専用列車廃止1952年昭和27年4月1日まで、その指定継続された。 デッキハウス造設による乗船者増加のため、これら各船では救命艇増備された。第六青函丸第七青函丸では、前部デッキハウス両側面の船橋楼甲板に各舷2隻ずつ新設後部デッキハウス両側船橋楼甲板には既存の各舷1隻ずつ、中央部甲板室右側面の煙突前方部分に遊歩甲板舷側まで拡張し、この遊歩甲板上に救命艇1隻新設して計7隻を装備した 第八青函丸については、ボイラー増設前の救命艇増備詳細不明であるが、ボイラー増設後は前部デッキハウス両側面の船橋楼甲板に1隻ずつ、後部デッキハウス両側船橋楼甲板には2隻ずつ、中央部甲板室では同じく右側面の煙突前方部分に遊歩甲板舷側まで拡張し、この遊歩甲板上に救命艇1隻新設して計7隻を装備した 第十一青函丸第十二青函丸では、遊歩甲板当の前部デッキハウスの屋根舷側まで拡張しその上に各舷2隻ずつ装備し後部デッキハウス両側面では船橋楼甲板に各舷1隻ずつ、中央部甲板室では煙突が1本の左側面の煙突前方部分に遊歩甲板舷側まで拡張し、この遊歩甲板上に救命艇1隻新設して計7隻を装備した

※この「客載車両渡船(デッキハウス船)化」の解説は、「第五青函丸」の解説の一部です。
「客載車両渡船(デッキハウス船)化」を含む「第五青函丸」の記事については、「第五青函丸」の概要を参照ください。

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