第七青函丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)
第3船。本船から、遊歩甲板室を後方に拡張して海軍警戒隊居室としたため、遊歩甲板室が後ろへ延びた。これにより船橋楼甲板に普通船員食堂が復活し、総トン数も2,850.99トンに増えた。この総トン数は第十青函丸までの4隻全てで同一であったが、戦時標準船では測度による実際総トン数ではなく、計画総トン数による登録が多く、同一設計図からの建造船は同一総トン数となった。本船から、船首に砲架が取り付けられた。本船以降、車両甲板下第二甲板は梁も含め全廃された。 終戦時稼働できた車両渡船は、本船と第八青函丸の2隻だけであった。しかし、1945年(昭和20年)8月30日に函館港北防波堤に衝突し、3ヵ月間休航した。また客船不足解消のため、1947年(昭和22年)9月にはデッキハウスが造設され、以後客載車両渡船(デッキハウス船)となった。このときボイラー4缶から5缶への増設工事も施工されたが、左舷前側への増設のため、煙突は左舷2本右舷1本の計3本となり、第十一、第十二青函丸とは逆になった。
※この「第七青函丸」の解説は、「第五青函丸」の解説の一部です。
「第七青函丸」を含む「第五青函丸」の記事については、「第五青函丸」の概要を参照ください。
第七青函丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:29 UTC 版)
3,450総トン。全長120.54 m、幅16.8 m。 旅客定員695名。車両積載数:トラック50台または乗用車126台。内海造船田熊工場建造。 函館 - 青森、室蘭 - 青森航路に就航。1973年竣工、1992年売却。
※この「第七青函丸」の解説は、「東日本フェリー」の解説の一部です。
「第七青函丸」を含む「東日本フェリー」の記事については、「東日本フェリー」の概要を参照ください。
- 第七青函丸のページへのリンク