ボイラー減缶と低性能タービン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)
「第五青函丸」の記事における「ボイラー減缶と低性能タービン」の解説
機関部では、第四青函丸では左舷3缶右舷3缶の計6缶あったボイラーのうち、前2缶が廃止され4缶となり、W1(第五青函丸)では陸軍特務船用の3,000軸馬力の日立製作所製衝動タービンが流用されたが、過大であったため、2,250軸馬力に落として使用し、効率の悪い運転となった。またW2(第六青函丸)とW3(第七青函丸)では、第四青函丸と同等の浦賀船渠製衝動タービンが採用されたが、今度はボイラーの 過熱器が省略されてしまい、4時間30分運航はいよいよ困難となった。W4(第八青函丸)以降は2T戦時標準型タンカー用の定格出力2,000軸馬力、単筒式の甲25型衝動タービンが使用されたが、このタービンは蒸気使用効率が低くボイラー力量不足も相まって速力低下に拍車をかけ、さらにタービンの2段減速歯車は構造的に無理があり、故障が頻発した。また船尾側から見て右回り回転のものしかなく、左右両軸とも右回転での運航となった。なおボイラーの4缶化に伴い、ボイラー室船首側隔壁が第四青函丸に比べ5m余り後ろへ移動し、煙突も後ろの2本のみとなった。 船内電力は第四青函丸にならい、三相交流60Hz、225Vが採用され、第四青函丸と同じく出力50kVAの蒸気タービン発電機が2台装備されたが、戦時標準船の中で交流電力を採用したのは、このW型とH型だけであった。 また1,000総トン以上の商船には1942年(昭和17年)6月30日の船舶保護指示4号で、各船型に応じた所定の武装兵器と海軍警戒隊員の配置が定められていたが、青函連絡船用としては、短12cm砲1門と25mm機銃2基、爆雷16個と明示されたのは1945年(昭和20年)2月であった。
※この「ボイラー減缶と低性能タービン」の解説は、「第五青函丸」の解説の一部です。
「ボイラー減缶と低性能タービン」を含む「第五青函丸」の記事については、「第五青函丸」の概要を参照ください。
- ボイラー減缶と低性能タービンのページへのリンク