客車王国から気動車化までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:30 UTC 版)
「山陰本線」の記事における「客車王国から気動車化までの経緯」の解説
山陰本線は675kmの長大幹線で全線にわたって客車列車が多数運用されていた。 1972年3月以降は全線を走破する普通列車は無くなったものの、長距離客車列車は多数あった。当時の主な長距離普通列車は824列車(門司駅→福知山駅間)・831列車(豊岡駅間→門司駅間)、726列車(浜田駅→大阪駅間)、835列車(京都駅→浜田駅間)、721列車(大阪駅→出雲市駅間)などであった。 1970年代の普通列車は旧型客車でディーゼル機関車DF50形・DD54形が牽引していたが、1978年10月までに牽引機はDD51形に統一された。 1979年以降に福知山・米子・下関地区へ配置された50系客車の運用は100km前後の短距離が多く、長距離運用は旧型客車であった。 1984年2月のダイヤ改正で日本最長距離鈍行824列車が出雲市駅で系統分割され、旧型客車は京都駅 - 浜田駅間の運用へ短縮された。50系客車は香住駅 - 鳥取駅間を除く全線に運用区間が拡大され、長距離運用も東西で見られるようになった。 1985年3月のダイヤ改正は、急行・団体用から転用改造された12系1000番台が投入され大阪駅 - 福知山駅 - 出雲市駅間にて運用開始。旧型客車は篠山口駅 - 福知山駅 - 出雲市駅間の運用へ短縮。50系客車は京都駅 - 福知山駅間、豊岡駅 - 下関駅間の運用となった。福知山駅 - 豊岡駅間にて50系客車の運用が無かったのは城崎電化後は電車に置き換える計画があり、この区間は12系客車と旧型客車だけで運用された。 1986年11月、福知山線全線と福知山駅 - 城崎駅(現在の城崎温泉駅)間が電化され電車化。この時期より客車列車の衰退が始まる。客車列車の運用範囲は京都駅 - 福知山駅間・豊岡駅 - 出雲市駅間は50系客車と12系客車、出雲市以西は全て50系客車で国鉄分割民営化を迎えた。 この体制もつかの間で、1988年10月には京都駅 - 福知山駅間のうち、園部止の一部を除いて全廃。1990年3月のダイヤ改正では京都駅 - 園部駅間の電化によりこの区間の客車列車が廃止されるとともに、大量の気動車が転属となり、それにより豊岡駅 - 益田駅間のうち、豊岡駅 - 出雲市駅間・浜田駅 - 益田駅間 (1991年3月に気動車化) の一部列車を除いて気動車化された。しかし益田駅以西はかろうじて多数残った客車列車が1991年3月に朝夕の一部を除いて気動車化、1992年3月には全て気動車化されて、残る客車列車は豊岡駅 - 米子駅 - 出雲市駅間の計5往復となった。 山陰本線の中部に残された客車列車は12系客車(豊岡駅 - 米子駅間・鳥取駅 - 米子駅間の各1往復)と50系客車(鳥取駅 - 米子駅間・米子駅 - 出雲市駅間各1往復)と急行「だいせん」の末端の普通列車区間(倉吉駅 - 出雲市駅間)だけとなった。1992年6月頃は残された50系が全て12系客車へ統一された後は再び衰退の一途となる。 1994年12月には米子駅 - 出雲市駅間を気動車化、1996年12月には日本最長距離客車鈍行の豊岡駅 - 米子駅間の521・522列車が気動車化され、最後の客車列車の運用は鳥取駅 - 米子駅間の2往復だけとなる。 1997年3月22日、最後に残された客車列車も気動車化されて、急行「だいせん」の末端の普通列車区間を除いて山陰本線から全て無くなった。その「だいせん」も1999年10月に気動車に置き換えられ、山陰本線から定期客車普通列車が消滅した。
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