客車航送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 01:47 UTC 版)
阪神と四国各都市間の夜行の旅客需要を競合航路から取り戻すため、1950年(昭和25年)10月1日から紫雲丸型による客車航送が行われ、深夜の宇野・高松での乗換なしの大阪-松山・須崎間の直通夜行列車運転が開始された。寝台車航送はなかったが、極めて好評で、相当定員超過していることも多く、1955年(昭和30年)5月11日の2回目の紫雲丸沈没を契機に安全上の見地から、その当日限りで中止された。
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