戦後・急行「みちのく」とその周辺列車群
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「東北本線優等列車沿革」の記事における「戦後・急行「みちのく」とその周辺列車群」の解説
1945年(昭和20年)11月 上野 - 青森間急行101・102列車が運転再開。しかし翌月、深刻な石炭不足になり再び一時運休。 1946年(昭和21年)2月 GHQの指令により連合軍専用列車が上野 - 青森間・函館 - 札幌間に新設。後に両列車は総括して「Yankee Limited」(北部特急)の列車愛称が付けられた。同列車は時刻表には掲載されない連合国軍、特にアメリカ軍用の特殊列車で青森 - 函館間は青函連絡船に寝台車の一部を乗客ごと積載航送とした。7月以降は、東京 - 上野間の回送線を使い東京発着となり、さらに11月には横浜発着となった。 日本人用列車でも、同年8月からこの東京 - 上野間の回送線を使って運行される旅客列車が設定された。 同年11月 常磐線経由の急行207・208列車が運休のまま時刻表に再掲される。 1947年(昭和22年)6月 急行207・208列車がようやく運転開始。 1948年(昭和23年)7月1日 ダイヤ白紙改正。上野 - 青森間直通急行は東北本線経由の103・104'列車、常磐線経由の201・202列車が復活し、12月には201・202列車に特別寝台車(後の1等寝台車)を連結。 1949年(昭和24年)9月 急行201・202列車を運休。代替として101・102・203・204列車が運転再開。203・204列車は1等寝台車(現・A寝台)を1両連結。 1950年(昭和25年)10月 日本人用列車で201・202列車が運行再開。11月には201・202列車が「みちのく」、203・204列車が「北斗」の東北本線・常磐線の日本人用列車では初の列車愛称を命名されるとともに、「みちのく」では1等寝台に限り函館 - 札幌間急行1・2列車からの青函連絡船客車航送連絡を開始。 1951年(昭和26年)6月 津軽海峡に朝鮮戦争による浮流機雷が流入した影響で安全確保のため青函連絡船夜行便の運航は夜明け以降に限られ、接続列車時刻の大幅な繰り下げや不接続などダイヤ変更を実施。 1952年(昭和27年)4月 「Yankee Limited」が日本人にも乗車券の一部を販売するようになり、「特殊列車」となって列車愛称を廃止。「みちのく」での客車航送は廃止され、「特殊列車」でのみ実施となった。 同年9月 上野 - 青森間常磐線経由夜行急行「きたかみ」運行開始。「特殊列車」は横浜から東京に発着駅が変更される。 1954年(昭和29年)10月1日 ダイヤ改正で「特殊列車」が日本人完全開放。通常の急行列車となり、東京 - 青森間(常磐線経由)「十和田」・函館 - 札幌間は不定期急行「洞爺」に分割。改正直前の9月26日に発生した「洞爺丸事故」の影響で、上野 - 札幌間の客車航送は廃止。 1956年(昭和31年)11月19日 ダイヤ改正で以下の変更を実施。「きたかみ」を漢字書きの「北上」に名称変更。 「十和田」上野発着に変更。 上野 - 青森間常磐線経由夜行急行「おいらせ」を新設。
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