戦後復興、現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 14:32 UTC 版)
「ダルムシュタットの歴史」の記事における「戦後復興、現代」の解説
ダルムシュタット占領後、ルートヴィヒ・メッツガー (SPD) が上級市長となった。1946年に新しく樹立したヘッセン州の州都はダルムシュタットではなく、ヴィースバーデンが選ばれた。 市の復興では、城館、市庁舎、国立博物館といった偉大な歴史的建造物が再建された。しかし旧市街には新しい道路網が整備された。最初のきわめて細かい街区に分割する案は退けられたが、住民からの同意を得ることなく新しい街区の切り分けがなされた。旧市街の北西部には大学のキャンパスが増築された。この時期に造られた新しい建築物は装飾を排した実用本位の形態であった。都市建設の骨子となるプランは1947年から都市建設行政のリーダーを務めることになったペーター・グルントのアイデアによるものであるが、そのシステムは「組織体としての幹線道路網」を基本とするものであった。 再生可能な旧国立劇場の廃墟は劇場としては廃止となり、1972年にヴィルヘルミーネ広場に新しい劇場が建設された。ルイーゼン広場のほとんど破壊され尽くした旧宮殿も再建されなかった。激しい議論の結果、ここには1977年にショッピングセンター「ルイーゼンセンター」が建設された。 ダルムシュタットには多くの国内・国際研究機関があり、これにより1997年8月に「学術都市」の呼称をヘッセン州内務省から与えられた。その後、ダームスタチウムとして周期表に現れた。
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