戦後、恩赦で減刑になった死刑囚とは? わかりやすく解説

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戦後、恩赦で減刑になった死刑囚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:48 UTC 版)

日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧」の記事における「戦後、恩赦で減刑になった死刑囚」の解説

デフォルトでは確定日(死刑確定日)の昇順配列事件名の列は死刑囚仮名順にソートされる。 事件名仮名事件発生確定恩赦備考A/同性愛少年友人一家殺傷放火事件 (S) 1944/07/29 1945/09/05 1947/02/18 犯行当時旧制中学校4年生で、未成年者少年死刑囚)。華族血筋無期懲役減刑。 A/樺太・西柵丹強盗殺人事件 (S) 1944/10/23 1945/07/17 1949/12/24 ソ連軍樺太侵攻のため、公判記録滅失死刑執行手続出来ないため、その特殊事情により恩赦無期懲役減刑。 A/名古屋愚連隊殺人事件 (K) 1947/06/21 1948/03/11 1949/03/23 犯行17歳少年死刑囚であったため、少年法改正により恩赦減刑。 A/岐阜県清見村一家3人殺事件 (R) 1947/04/09 1948/06/08 1949/03/23 同上。 A/鹿児島一家3人強盗殺傷放火事件 (A) 1947/12/18 1948/12/05 1949/04/06 同上。 A/岩手県広瀬村老女殺害事件 (K) 1947/09/14 1948/06/04 1950/07/29 共犯2名は一審死刑控訴審無期懲役判決量刑均衡のため恩赦減刑。 A/愛知肝とり殺人事件 (H) 1948/04/01 1948/10/18 1952/04/28 サンフランシスコ講和条約批准恩赦無期懲役減刑。 A/荒尾隣人夫婦事件 (K) 1946/07/09 1949/02/09 1952/04/28 同上。 A/和歌山一家8人殺害事件 (O) 1946/01/29 1949/08/18 1952/04/28 同上。 A/三重県柿野村内妻殺害事件 (N) 1948/04/21 1949/08/18 1952/04/28 同上。 A/前橋警察官連続殺傷事件 (K) 1947/05/06 1949/11/30 1952/04/28 同上。 A/滋賀刑務所看守部長殺害事件 (T) 1948/08/01 1949/12/22 1952/04/28 同上。 A/志和堀村両親殺害事件 (M) 1948/06/11 1950/02/21 1952/04/28 広島県発生した小学校助教員による尊属殺人。他の死刑囚とともにサンフランシスコ講和条約批准恩赦無期懲役減刑。 A/小田原一家5人殺害事件 (S) 1949/09/14 1951/09/06 1952/04/28 犯行19歳少年死刑囚)。一審判決時の判事減刑のための運動をしたことでも知られる。他の死刑囚とともにサンフランシスコ講和条約批准恩赦無期懲役減刑仮釈放中の1984年7月8日殺人未遂事件起こした。 A/強盗計画者による家人射殺事件 (P) 1949/10/15 1951/11/08 1952/04/28 サンフランシスコ講和条約批准恩赦無期懲役減刑。 A/静岡雇い主一家3人殺事件 (R) 1950/06/25 1952/01/23 1952/04/28 同上。 A/大分県上井田村内妻一家3人刺殺事件 (S) 1950/09/15 1952/03/18 1952/04/28 同上。 A/貸しボート暴力団抗争射殺事件 (T) 1950/07/20 1952/09/05 1952 同上。この恩赦基準日上訴中の者にも、確定後に適用された。 A/鳥取県大宮村林業従事者殺人窃盗事件 (M) 1950/08/07 1953/03/24 1953 同上。 A/共同事業青酸ビール毒殺事件 (S) 1950/05 1953/11/17 1954 同上。 A/茨城県磯浜町一家5人殺事件 (S) 1949/10/04 1953/11/27 1954 同上。 A/滝川老女殺害事件 (S) 1948/03/07 1949/05/17 1954/01/15 未成年少年死刑囚)。反省の情が顕著なため個別恩赦減刑。 A/滝川老女殺害事件 (S) 1948/03/07 1949/07/14 1954/01/15 上記共犯者。 Y/菅野村強盗殺人・放火事件 (Y) 1949/06/10 1951/07/10 1969/09/02 戦後女性死刑囚第1号重度精神障害などのために減刑1979年病死。 A/市川博徒仲間殺害事件 (Y) 1948/05/17 1952/03/28 1970/07/17 個別恩赦減刑。 I/福岡事件 (I) 1947/05/20 1956/04/17 1975/06/17 殺害現場にいた実行犯恩赦減刑現場にいなかった「主犯」は死刑執行主犯とされたNについては冤罪指摘されている。

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