戦後・掃海任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 13:39 UTC 版)
8月25日、舞鶴鎮守府第一予備海防艦に定められる。 11月30日、海軍省の廃止に伴い帝国海防艦籍から除かれた。戦後は機雷掃海任務に従事。 12月1日、第二復員省の開庁に伴い、佐世保地方復員局所管の掃海艦に定められる。20日、艦名を海第26号と呼称。 1946年(昭和21年)9月5日、佐世保地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、同時に特別保管艦に指定される。 1947年(昭和22年)1月6日、舞鶴地方復員局所管に変更。 9月6日、海第26号は特別輸送艦の定めを解かれ、賠償艦としてアメリカに引き渡された。しかし、アメリカ軍では戦時中の大量建造により、自国の護衛駆逐艦の一部が余剰となっていたため、それらと比べて整備に手間がかかる海第26号はすぐに売却され、播磨造船所呉船渠で9月7日から解体を開始。 10月13日、解体が完了した。
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