劇場として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:32 UTC 版)
1954年(昭和29年)、名古屋初の自主的演劇鑑賞組織(労演)として名古屋演劇同好会(略称 : 名演)が発足。当時は演劇公演を主催する商業劇場はほとんどなく、鑑賞団体が劇団と交渉して演劇公演を企画する形が一般的だったため、1968年(昭和43年)には名演の会員数が過去最高の9,258人に達した。1966年(昭和41年)に中日劇場が開場し、名鉄ホールとともに新劇の興行を始めると、劇団が直接商業劇場と交渉するようになり、演劇鑑賞団体の位置づけが揺らいでいった。 名演は中日劇場、名鉄ホール、愛知文化講堂、名古屋市民会館など名古屋市内のホールを使用して演劇公演を企画していたが、かねてから自前の劇場を欲していた。1972年(昭和47年)1月9日、総工費8,500万円をかけて東区東桜に名演会館ビルが竣工し、ビルの4階から5階には固定座席(150席)・補助席(50席)合わせて200席を持つ名演小劇場が入った。名演は全国の演劇鑑賞組織で初めて自前の劇場を持った団体である。名演会館ビル建設の呼びかけ人には千田是也、杉村春子、宇野重吉など、当時の演劇界の重鎮が名を連ねており、その他にも全国の演劇関係者・全国の文化関係者・地元劇団などが名演会館ビル建設に協力している。名演の主催による舞台公演が興行の中心に据えられたが、舞台公演の合間には映画興行も行っていた。 1960年代後半以後、商業劇場の発展によって全国的に鑑賞組織が衰退し、1973年(昭和48年)の名演の会員数は4,283人と、1968年(昭和43年)のピーク時の半分以下に減少した。1979年(昭和54年)には桂小つぶ(後の2代目桂枝光)が初舞台を踏んだ。1980年代以降には、上演する劇団の固定化、観客層の高齢化、相次ぐ公共ホールの建設、厳しい財政状況などの問題が生じた。
※この「劇場として」の解説は、「名演小劇場」の解説の一部です。
「劇場として」を含む「名演小劇場」の記事については、「名演小劇場」の概要を参照ください。
- 劇場としてのページへのリンク