一等寝台車とは? わかりやすく解説

一等寝台車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)

鉄道院基本形客車」の記事における「一等寝台車」の解説

9060形スイネフ9060 - 90631915年に大井工場で4両が製造された、20m級一等寝台緩急車二重屋根備え開放部分の側窓には別途幕板部に明かり取り窓を設ける。台車明治44年式6輪ボギーである。客室は順に車掌室、便所側廊下式区分2つ中央廊下式のプルマン寝台備えた開放室、喫煙室便所となっており、区分室は座席定員12人・寝台定員8人、開放室は昼間寝台共に定員12人となる。なお、喫煙室当初3人掛け座席2組通路挟んで向かい合わせ設置していたが、1920年廃車となった9062を除く3両は1923年6月大井工場一方喫煙席3人分を撤去し、そこに給仕室を設置する工事実施している。 1928年称号改正で17280形オイネフ17280 - 17282となったが、後に設備そのまま開放室を格下げしてオイロネフ17280 - 17282へ改称されている。 9065形オイネ90651910年に神戸工場で1両のみ製造された、二重屋根備える20m級一等寝台車。明治39年式6輪ボギー台車装着し台枠構造以後のものとは異なる。座席定員36人、寝台定員24人のツーリスト寝台備え便所・洗面所等を側廊下式配置として、寝台室との間に喫煙室置いた特徴的な客室レイアウト備える。後に鷹取工場で19965形スニ19965へ改造されたと見られている。 10000形スイネ10000 - 100041911年10月神戸工場で5両製造された、特別室付きの19m級一等寝台車。1911年度製造分に含まれる25両のブリル社製台枠台車使用車両1つ1919年車掌室を設置して10040形スイネフ10040 - 10044に改造され、更に1924年称号改正ではオイネフ10040 - 10044へ改称された。もっとも、1926年には大形3AB車の増備代替され、鷹取大井の両工場客室設備全て撤去側面の2カ所に1,824mm幅の大型開扉設置して荷物車の19970形マニ19970 - 19974へ改造されている。1928年形式称号改正では19600形スニ19606 - 19609・19605に改番されている。なお、この内スニ19609←マニ19973←オイネフ10043←スイネフ10043←スイネ10003は、1931年職用車の19990形マヤ19991へ改造され、更に1953年称号改正救援車の19900形オエ19914となって小倉工場配置されたことになっているが、実際に小倉工場マニ19704と振り替えられて三等座席車改造の上1950年南薩鉄道払い下げられ同社でスハフ100となった可能性指摘されている 。 10005形スイネ10005 - 100091912年1・2列車用に新橋工場で5両が製造された20m級一等寝台車。前年10000形とは異なり台枠がUF41、台車明治44年式6輪ボギーいずれも制式設計品が採用されている。客室中央通路開放室と側廊下式区分室の組み合わせである。開放部分寝台定員12人、座席定員18人のツーリスト寝台区分室は4つで、中央部プルマン寝台2人室(座席2)が1つ、そして寝台定員4人の区分室が2つ座席12)、喫煙室という配置である。 1922年11月にオイネ10005 - 10009と改称している。 10015形スイネ10015・10016 10020形スイネ10020 10025形スイネ10025・10026 10030形スイネ10030・10031 9060形の形式図 9065形の形式図 10005形の形式図 10015形の形式図 10025形の形式図 10030形の形式

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一等寝台車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 19:10 UTC 版)

国鉄28400系客車」の記事における「一等寝台車」の解説

スイネ28100形(スイネ27100形) 1・2列車用一等寝台車として1921年大井工場で28100 - 28109の10両が製造された。 1925年までに後半の28105 - 28109に車掌室が追加設置されてスイネフ28260形28260 - 28264となったため、1927年称号改正時には残る5両がスイネ27100 - 27104に改称されている。 スイネ28110(供奉車700号) イギリス皇太子来日予定合わせてスイネ28100形を基本として1920年より設計され1922年4月の同皇太子来日合わせて同月17日10号展望車)・11号食堂車御料車と共に大井工場完成した供奉車である。 スイネ28100形の基本設計流用されたためか同形式の区分番号与えられ、スイネ28110と付番されたが、その車体設計工作大形一枚板を3枚継いだ腰板用い深紅色の漆で仕上げた外観木地塗り内装など、同時製作の御料車2両に準じるものとされた。 車内側廊下式基本とし、順に物置特別室用便所・特別室2人室4室・4人室2室・喫煙室便所洗面所配されており、このため側窓配置寝台側がd12111122111d、廊下側がd11122111111d(d:デッキとなっていた。 本車完成後、予定通り4月19日より27日にかけて日光箱根京都訪問した英国皇太子御乗用列車10・11御料車と共に供されその後スウェーデン皇太子夫妻御乗用列車供され夜間の行程でその設備有効に活用されている。 1928年5月17日車両称号規定制定前後して宮廷列車用の本車供奉車としての番号新たに割り振られ700号と改番されたが、1929年には再び一般車としての形式与えられ、スイネ27100形(旧スイネ28100形)の続番となるスイネ27105と付番された。 もっとも、同年には後継となる20m級鋼製特別室付き一等寝台車が新造されたことなどからその役割終えその後もしばらくそのまま予備車として維持されいたものの、結局1932年大井工場荷物車への格下げ改造実施されマニ29529となった。 その改造に際して一端の便所洗面所そのまま残され側面に1,800mm幅の両開き荷扱い扉が2カ所設けられたものの、特徴であった大形1枚板による腰板極力切断せずに生かされた。 かくして本車荷物車ありながら供奉車時代通ず優美な姿を保ったまま国鉄木造客車終焉となる1950年代後半まで品川客車区配置使用され続け、鋼体化や事業用車への格下げ改造行われることもなく、1957年4月そのまま廃車解体となっている。 スイネ28120形(スイネ27150形) 1・2列車用一等寝台車として1923年大井工場で28120 - 28124の5両が製造された。 政府高官皇族などの特別客への対応 として一端専用便所付き特別室設け、他に2人4つと4人室2つ設けるという、スイネ28110と同様の車内配置とされていた。 スイネフ28250形(スイネフ27230形) 1925年大井工場でスイネフ28250 - 28254の5両が製造された。

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一等寝台車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 19:10 UTC 版)

国鉄28400系客車」の記事における「一等寝台車」の解説

スイネフ28260形(スイネフ27200形) スイネ28100形の後半5両に車掌室を追加設置した一等寝台緩急車である。 1927年1・2列車展望車連結区間東京 - 神戸間に変更された後は同車の前位に連結されるようになり、神戸 - 下関間で同列車の最後尾となった

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