一等寝台二等車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)
5040形イネロ5040 - 50481912年から翌年にかけて新橋工場と大宮工場で9両が製造された、17m級一等寝台二等座席合造車。客室は、座席定員18人・寝台定員12人でツーリスト式寝台を備える一等寝台室と、定員24人のロングシートを備える二等座席室よりなり、車体中央に便所・洗面所を設ける。台車は明治45年式で屋根は二重屋根である。 1920年に5040 - 5043が一等寝台の設備はそのままに二等寝台へ格下げられて5130形ロネロ5130 - 5133へ、5044 - 5048は大宮工場で客室部分を大改装し両端にそれぞれ独立した便所・洗面所を設けた上で、東北本線に配置された5044・5045は5125形ロネロ5125・5126へ、東海道・山陽本線へ配置された5046 - 5048はイネイ5040 - 5042へそれぞれ等級変更・改番されている。 5130形となったグループは、5130・5131が1928年の称号改正で10250形ナロネロ10255・10256へ、5132・5133は10280形ナロネロ10280・10281へそれぞれ改称されている。その後は鋼製車の増備により、10255・10256・10280・10281の順で11600形ナロハ11648・11649・11632・11633へ改造されている。 これに対し5125形へ改造されたグループと5040形のまま改造されたグループは、いずれも寝台室が座席定員18人・寝台定員12人、座席室が定員16人で、同一設備でありながら運用線区で等級が違えられていた。もっとも、これらは5042を関東大震災で喪った後、1927年に残る5040・5041を5125形へ編入し、ロネロ5127・5128へ改番することで統一が図られている。その後、これら5125形4両は1928年の形式称号改正で10250形ナロネロ10250 - 10253へ改番され、更に鋼製車の増備で15500形ナハニ15520 - 15523へ格下げ改造が実施されている。 5135形イネロ5135 - 51401913年に新橋工場で5135 - 5137が、1914年に大宮工場で5138 - 5140がそれぞれ製造された、17m級一等寝台二等座席合造車。客室は、座席定員12人・寝台定員8人でツーリスト式寝台を備える一等寝台室と、定員34人のロングシートを備える二等座席室よりなり、両室間に便所・洗面所を設ける。台車は明治45年式で屋根は丸屋根である。ただし、増備車である大宮工場製3両は先行する新橋工場製3両と比較して一等寝台室と便所・洗面所のスペースが僅かずつ拡大されており、その分二等座席室が縮小されている。 1920年には全車とも寝台室が一等から二等に格下げされロネロ5135 - 5140へ改称されたが、この際大宮工場製の5138 - 5140については二等座席の定員見直しが実施され、2名減じて定員32名へ変更されている。1924年の改正ではそのまま重量区分を付してナロネロ5135 - 5140と改称され、更に1928年の称号改正では居住性に勝る大宮工場製を先にして5138 - 5140・5135 - 5137の順で10270形ナロネロ10270 - 10275へと改形式・改番されている。 1930年には10273が廃車となり、翌1931年には残る5両全車が11600形ナロハ11627 - 11631へ格下げられた。なお、これらの内、11630は1937年に軍の命令による中国への供出対象に指定されて特別廃車となっている。
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