檜山丸型車両渡船建造までの経緯とは? わかりやすく解説

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檜山丸型車両渡船建造までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 07:37 UTC 版)

檜山丸 (初代)」の記事における「檜山丸型車両渡船建造までの経緯」の解説

1954年昭和29年9月26日洞爺丸台風により、車載客船 洞爺丸車両渡船 北見丸同 日高丸初代)、同 十勝丸(初代)、客載車両渡船(デッキハウス船)第十一青函丸の5隻が沈没した洞爺丸以外の4隻は貨車航送能力大き車両渡船であったため、青函航路貨車航送能力激減し滞貨の山ができてしまった。 沈没した5隻の潜水調査1954年昭和29年10月行われたが、船体3つ破断していた第十一青函丸以外の4隻については、当初浮揚後、復旧再使用見込みであった。しかし、復旧再使用するにしても、翌1955年昭和30年)の秋冬繁忙期までの再就航は到底望めず、それまで貨車航送能力の相当程度回復を図るため、同年12月頃、国鉄とりあえ車両渡船2隻新造の方針を固め1955年昭和30年2月5日新三菱重工神戸造船所浦賀船渠へ1隻ずつ建造発注した。これが、檜山丸(初代)空知丸(初代)で、檜山丸(初代)4日早く竣工し、第1船となったため、この2隻は檜山丸型と呼ばれた。なお、終戦直後建造された5隻の客載車両渡船車両渡船の名称は、北海道支庁名にはない北見丸含まれるため、旧国名由来推定されるが、檜山丸(初代)空知丸(初代)はともに旧国名にはない当時北海道支庁であった。また沈没した客載車両渡船車両渡船4隻のうち、当初から復旧断念第十一青函丸のほか、北見丸復旧後日断念されたため、結果的に檜山丸型2隻は、これらの代替ということになった

※この「檜山丸型車両渡船建造までの経緯」の解説は、「檜山丸 (初代)」の解説の一部です。
「檜山丸型車両渡船建造までの経緯」を含む「檜山丸 (初代)」の記事については、「檜山丸 (初代)」の概要を参照ください。

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