檜山丸型車両渡船建造までの経緯
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「檜山丸 (初代)」の記事における「檜山丸型車両渡船建造までの経緯」の解説
1954年(昭和29年)9月26日の洞爺丸台風により、車載客船 洞爺丸、車両渡船 北見丸、同 日高丸(初代)、同 十勝丸(初代)、客載車両渡船(デッキハウス船)第十一青函丸の5隻が沈没した。洞爺丸以外の4隻は貨車航送能力の大きい車両渡船であったため、青函航路の貨車航送能力は激減し、滞貨の山ができてしまった。 沈没した5隻の潜水調査が1954年(昭和29年)10月に行われたが、船体が3つに破断していた第十一青函丸以外の4隻については、当初は浮揚後、復旧再使用の見込みであった。しかし、復旧再使用するにしても、翌1955年(昭和30年)の秋冬繁忙期までの再就航は到底望めず、それまでに貨車航送能力の相当程度の回復を図るため、同年12月頃、国鉄はとりあえず車両渡船2隻新造の方針を固め、1955年(昭和30年)2月5日、新三菱重工神戸造船所と浦賀船渠へ1隻ずつ建造を発注した。これが、檜山丸(初代)と空知丸(初代)で、檜山丸(初代)が4日早く竣工し、第1船となったため、この2隻は檜山丸型と呼ばれた。なお、終戦直後に建造された5隻の客載車両渡船・車両渡船の名称は、北海道の支庁名にはない北見丸が含まれるため、旧国名由来と推定されるが、檜山丸(初代)、空知丸(初代)はともに旧国名にはない当時の北海道の支庁名であった。また沈没した客載車両渡船・車両渡船4隻のうち、当初から復旧断念の第十一青函丸のほか、北見丸の復旧も後日断念されたため、結果的に檜山丸型2隻は、これらの代替船ということになった。
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