沈没まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 23:21 UTC 版)
1873年 (明治6年) 5月から11月までオーストリアのウィーンで開催された万国博覧会には、日本政府が初めて公式に参加し、日本から浮世絵、漆器、仏像、陶磁器などの美術工芸品をはじめ、一般庶民が日常使用している生活用品まで数多くの品々が出品された。博覧会終了後、出品物と現地で入手した品物は、フランス郵船会社の貨客船ニール号で日本へ運ばれた。ニール号は1864年建造でメッサージェリ・マリティム(英語版)社所属、全長104m、3本マストの鉄製帆船であった。 ニール号はフランスのマルセーユ港を1873年9月18日に出港、香港を経由して横浜港へ向った。ところが1874年3月20日未明に足柄県豆州賀茂郡入間村 (現在の静岡県賀茂郡南伊豆町入間) 沖の白根という岩場にて、暴風雨の為座礁、沈没した。
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