沈没の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/16 18:01 UTC 版)
1941年(昭和16年)10月2日、佐世保を特設潜水母艦「りおでじゃねろ丸」と共に出航し、艦隊集合地点の山口県室積沖を目指して航行していた。23時21分頃、壱岐水道烏帽子島灯台西方付近で、長崎橘港へ向かっていた特設砲艦「木曾丸」に衝突され沈没。同乗の第29潜水隊司令・久米幾次中佐、広川艦長以下70名が殉職した。衝突の主な原因は「木曾丸」が「りおでじゃねろ丸」を反航した後に目にした赤灯を、小型船と誤認して航行を続けたことにあった。及川古志郎海軍大臣から報告を受けた昭和天皇は、鮫島具重侍従武官を連合艦隊に派遣している。
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