沈没にいたるまでの事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 08:37 UTC 版)
「U534 (潜水艦)」の記事における「沈没にいたるまでの事件」の解説
1945年5月5日に理由は不明ながらU-534の艦長は、全Uボートに対し発せられたデーニッツの降伏命令を無視し、その代わりにノルウェーへ進路を向けた。今日なおU-534の降伏拒否の背景は謎であるが、多くの仮説がある。既成の事実であると思われることは、英国のコンソリデーテッド B-24 リベレーター機が攻撃をかけたときにU-534はその他3隻のUボートと共にカテガット海峡を浮上航行していたということである。U-534の乗組員は何とか1機の爆撃機を撃墜し、爆撃機から投下された爆雷の内9発は外れたが、1発の直撃弾を受けた。U-534は機関室から後ろの損傷により浸水し始め、アンホルト島の北東で沈没した。撃墜されたB-24は近くに不時着水したに違いないが、全ての搭乗員が失われた。 U-534の乗組員52名全員が脱出し、49名が生き残った。沈み始めたときに5名の乗組員が魚雷室に閉じ込められていたが、艦が海底に着底してから魚雷搬入用ハッチを通って脱出した。この中の1人である17歳の通信士ヨーゼフ・ノイドルファー(Josef Neudorfer)は、深みから海面に出たときに息を吐き出すことができずに肺を損傷して死亡した。その他2名の死亡者の死因は(exposure)であった。 U-534の降伏拒否に関するそれなりの説明は、艦の後部に搭載されていた3発の実験段階にあったT-11魚雷の発見により浮かび上がった。この型式の魚雷は僅か38発しか製造されず、英国のフォクサー・デコイ装置(Foxer decoy system)に対抗するために開発された音響追尾方式を採用したことに特徴があった。U-534が何故このような先進兵器を搭載していたかは判明していないが、このことがU-534の艦長が降伏を拒否した理由の説明となり得る[疑問点 – ノート]。 U-534の艦長であったヘルベルト・ノラウ(Herbert Nollau)大尉は、1968年に自殺した。
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