第1、第2の哨戒 1944年12月 - 1945年4月
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「ボアフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年12月 - 1945年4月」の解説
12月24日、ボアフィッシュは最初の哨戒で南シナ海に向かった。1945年1月5日にサイパン島に寄港し、整備の後哨区に到着した。1月21日、ボアフィッシュは5隻か6隻ぐらいの小さな輸送船団をレーダーで探知。16本の魚雷を全ての目標に向け、3回に分けて発射。しかし、効果不明のまま夜明けには攻撃を終了した。1月31日、ボアフィッシュは北緯14度56分 東経109度00分 / 北緯14.933度 東経109.000度 / 14.933; 109.000のインドシナ半島バタンガン岬北方で、2隻の貨物船と数隻の護衛艦を探知。これは南号作戦参加のヒ88B 船団であった。ボアフィッシュは護衛艦の監視をかいくぐり、明け方5時50分ごろに、大越丸(大阪商船、6,890トン)と延喜丸(日本郵船、6,968トン)に向けて魚雷を発射。魚雷は両船に命中し、延喜丸は船体折損して8時5分ごろ沈没。大越丸は損傷甚だしく沿岸に座礁し放棄された後、第14空軍機によって破壊された。2月15日、ボアフィッシュは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。潜水母艦ユーラール (USS Euryale, AS-22) による整備を受けた。 3月11日、ボアフィッシュは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。3月28日夜に北緯14度18分 東経109度20分 / 北緯14.300度 東経109.333度 / 14.300; 109.333の地点で2つの小輸送船団を発見し攻撃したものの、護衛艦の立ち回りにより攻撃は首尾よくいかなかった。また、インドシナ半島沿岸部を2度にわたって偵察した。4月21日、ボアフィッシュは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投。潜水母艦アンテドン (USS Anthedon, AS-24) による整備を受けた。艦長がエドワード・C・ブロンツ・ジュニア(アナポリス1939年組)に代わった。
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