第1、第2の哨戒 1944年12月 - 1945年4月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年12月 - 1945年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:08 UTC 版)

ボアフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年12月 - 1945年4月」の解説

12月24日、ボアフィッシュは最初哨戒南シナ海向かった1945年1月5日サイパン島寄港し整備の後哨区に到着した1月21日、ボアフィッシュは5隻か6隻ぐらいの小さな輸送船団レーダー探知16本の魚雷全ての目標に向け、3回分けて発射。しかし、効果不明のまま夜明けには攻撃終了した1月31日、ボアフィッシュは北緯14度56東経10900分 / 北緯14.933度 東経109.000度 / 14.933; 109.000のインドシナ半島バタンガン岬北方で、2隻の貨物船と数隻の護衛艦探知。これは南号作戦参加のヒ88B 船団であった。ボアフィッシュは護衛艦監視をかいくぐり、明け方5時50分ごろに、大越丸(大阪商船、6,890トン)と延喜丸(日本郵船、6,968トン)に向けて魚雷発射魚雷は両船に命中し延喜丸は船体折損して8時5分ごろ沈没大越丸は損傷甚だしく沿岸座礁し放棄された後、第14空軍機によって破壊された。2月15日、ボアフィッシュは52日間行動終えてフリーマントル帰投潜水母艦ユーラール (USS Euryale, AS-22) による整備受けた3月11日、ボアフィッシュは2回目の哨戒南シナ海向かった3月28日夜に北緯14度18東経10920分 / 北緯14.300度 東経109.333度 / 14.300; 109.333の地点2つの小輸送船団発見し攻撃したものの、護衛艦立ち回りにより攻撃首尾よくいかなかった。また、インドシナ半島沿岸部2度わたって偵察した4月21日、ボアフィッシュは42日間行動終えてスービック湾帰投潜水母艦アンテドン (USS Anthedon, AS-24) による整備受けた艦長エドワード・C・ブロンツ・ジュニア(アナポリス1939年組)に代わった。

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