第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:40 UTC 版)

パーチ (SS-313)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説

4月28日パーチ最初哨戒ピート (USS Peto, SS-265)、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) とウルフパック構成しルソン海峡南シナ海方面向かったミッドウェー島経由した後、哨区に到着この頃パーチなどがいた海域絶好狩場となりつつあった。5月24日パーチは1隻の護衛艦伴った中型タンカー攻撃し魚雷を4本発射命中音を聴取した。しかし、護衛艦反撃出て十分な観測出来なかった。また、続く爆雷攻撃気圧室を損傷したためパーチ哨戒打ち切って基地に戻ることとなった6月4日パーチ35日間行動終えてマジュロ帰投した。 6月27日パーチ2回目の哨戒フィリピンスリガオ海峡方面向かった7月29日北緯10度46東経12713分 / 北緯10.767度 東経127.217度 / 10.767; 127.217のディナガット島東方海上でい号観音丸(田谷亀一、115トン)を撃沈した8月26日パーチ59日間行動終えて真珠湾帰投した。

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第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:33 UTC 版)

ブルーギル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説

4月1日ブルーギル最初哨戒ミンダナオ島ハルマヘラ島およびパラオ方面向かったブルーギルには、司令部から「パラオハルマヘラの間が特に重要である」と念を押されていた。4月27日未明ブルーギルはソンソロール島の近海哨戒中、レーダー大小目標探知した当時軽巡洋艦夕張駆逐艦夕月がソンソロール島へ陸軍兵の輸送作戦従事していた。ブルーギルその2隻を探知したのであるブルーギル雨中の中を夕張夕月予想進路上に向かい潜航し待ち構えたが、気がつけば夕張夕月はとっくに通り過ぎてしまい、このときは攻撃失敗したブルーギルはソンソロール島に接近し陸軍兵を揚陸中の夕月発見。これを攻撃しよう接近中、視界内に夕張現れた。夕張夕月陸軍兵を揚陸中には周囲警戒していたが、やがて夕月揚陸作業終わったのでパラオ向かおうとしていたところだった。ブルーギルは諸計算訂正した上で夕張対し、距離2,400メートルから魚雷を6本発射して、うち1本だけが夕張命中した命中したときはちょう潜望鏡下げるところで、下げてから爆発音3つ聞こえた夕張丸一日持ちこたえたが、最終的に4月28日午前北緯0538東経13147分 / 北緯5.633度 東経131.783度 / 5.633; 131.783の地点沈没した攻撃直後、これも揚陸作業従事していた駆逐艦五月雨反撃してきたが何も起こらず逆に夕月に対して魚雷を4本したが命中しなかった。4月28日午後ブルーギル北緯0544東経13214分 / 北緯5.733度 東経132.233度 / 5.733; 132.233の地点夕月に対して再び魚雷を4本発射したが、これも命中しなかった。この時も夕月爆雷攻撃受けたが、被害はなかった。5月1日夕刻には、北緯0708東経130度00分 / 北緯7.133度 東経130.000度 / 7.133; 130.000のパラオ西方ダバオ向かっていた陸軍輸送船阿蘇山丸(三井船舶、8,811トン)を発見阿蘇山丸は東松5号船団加わってパラオ出港していたが、4月27日トリガー (USS Trigger, SS-237) の雷撃により大破してパラオ引き返し、仮修理終えてパラオ出てきたところだった。ブルーギル北緯0707東経12956分 / 北緯7.117度 東経129.933度 / 7.117; 129.933の地点魚雷を4本発射し、うち2本が命中した確認される爆雷攻撃避けたのち、翌5月2日朝に浮上して未だ浮いていた阿蘇山丸に対して砲撃行い砲撃後約1時間阿蘇山丸は沈没していった。続いて5月20日ブルーギル北緯0213東経12801分 / 北緯2.217度 東経128.017度 / 2.217; 128.017のモロタイ水道口で陸軍輸送船宮浦丸(日本郵船、1,856トン)を発見し魚雷を4本発射する魚雷は2本が宮浦丸に命中し可燃物搭載していた宮浦丸は炎上して間もなく沈没した2日後5月22日ブルーギル北緯0501東経12748分 / 北緯5.017度 東経127.800度 / 5.017; 127.800の地点で9隻の輸送船団発見して接近試みた護衛艦爆雷攻撃避退し、夕方になって浮上したところ、第九五四航空隊機の爆撃受けて一時艦の動力止まり、舵を人力操作しなくてはならなかった。またレーダー電池損傷したが、ブルーギル応急修理の上哨戒続けた6月7日ブルーギル67日間行動終えてブリスベン帰投した。 7月6日ブルーギル2回目の哨戒ダバオおよびミンダナオ海方面向かった7月20日ブルーギル北緯0618東経12608分 / 北緯6.300度 東経126.133度 / 6.300; 126.133のサンアウグスティン岬沖で「名取軽巡洋艦」を発見して魚雷を6本発射したが、命中はしなかった。ダバオ湾(英語版)に入り7月22日には北緯0611東経12510分 / 北緯6.183度 東経125.167度 / 6.183; 125.167の地点で1,000トン小型輸送船発見して魚雷3本発射したが、これも命中しなかった。8月2日ブルーギルはの地点またもや名取軽巡洋艦」を発見する魚雷を4本発射するよう設定して、あとは発射を待つのみであったが、視界内に入ってきた「千鳥型水雷艇」から猛烈な爆雷攻撃を受け、攻撃機会逸した8月7日午後ブルーギル北緯0604東経12422分 / 北緯6.067度 東経124.367度 / 6.067; 124.367の地点海軍徴傭船山珠丸山下汽船、4,642トン)を発見し魚雷を4本発射魚雷は1本か2本が山珠丸命中してこれを撃沈し、残る2本は海岸命中して爆発した攻撃後には36発にも及ぶ爆雷攻撃があったが、大したことはなかった。8月13日朝には北緯0617東経12609分 / 北緯6.283度 東経126.150度 / 6.283; 126.150のサンアウグスティン岬北方5海里地点海軍徴傭広順丸(広海汽船、1,931トン)と特設駆潜艇(みさご)丸(朝鮮総督府154トン)を発見艦尾発射管より魚雷を4本発射し広順丸と丸に1本ずつ命中して2隻とも撃沈した8月15日ブルーギル南緯0235東経12620分 / 南緯2.583度 東経126.333度 / -2.583; 126.333の地点で、8名から12名の乗組員がいる巡視船観測する浮上砲戦行い、およそ10程度100トン巡視船撃ち沈めた8月18日ダーウィン寄港して燃料清水補給8月24日ブルーギル49日間の行動終えてフリーマントル帰投した。

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第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:51 UTC 版)

タイルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説

4月3日、タイルフィッシュは最初哨戒日本近海向かった。「ヒットパレード」との俗称つけられていた本州の東岸沿いを哨戒をしたが、航空機発見するものの肝心艦船発見できなかった。おまけに音響測深機調子いまひとつな上に曇天悩まされた。5月11日、タイルフィッシュはようやく最初獲物たる小さな輸送船団発見し魚雷発射した魚雷客船ブリッジ下で爆発したように見えたが、その直後から護衛艦による爆雷攻撃受けた。タイルフィッシュは安全深度より深い180メートル深度潜んで攻撃をやり過ごしたその後5月19日20日北マリアナ諸島海域哨戒続けたが、結局獲物には恵まれなかった。5月29日、タイルフィッシュは54日間行動終えてマジュロ帰投潜水母艦ブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) による整備受けた6月22日、タイルフィッシュは2回目の哨戒でソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) 、ロック (USS Rock, SS-274) とウルフパック構成しルソン海峡方面向かった担当海域に着くと、タイルフィッシュはバタン諸島バシー海峡の間を哨戒した。7月18日、タイルフィッシュは北緯2656東経11958分 / 北緯26.933度 東経119.967度 / 26.933; 119.967の地点でヒ69船団発見し僚艦とともに攻撃した10時50分、タイルフィッシュの視界内に対潜掃討中の第17号海防艦入ってきた。タイルフィッシュは魚雷を6本発射し、うち1本が第17号海防艦艦首命中し大破させた。タイルフィッシュは航空機制圧を受ける前に深く潜航。9分後に潜望鏡深度浮上して観測すると、何も見えなかった。タイルフィッシュは「駆逐艦1隻撃沈」と判断したその後台湾東岸哨戒していたが、付近遣独潜水艦作戦から帰還途中伊29通過することが判明し予想針路近かったタイルフィッシュ以下のウルフパックにその捕捉命じられた。7月25日、タイルフィッシュはマニラ西方800マイル地点伊29接触し追跡したものの数多の妨害により攻撃できず、翌26日16時45分にソーフィッシュが伊29撃沈した7月31日にも輸送船団発見したが、良い攻撃位置をとることができなかった。タイルフィッシュは帰途ミッドウェー島寄港8月15日、タイルフィッシュは55日間行動終えて真珠湾帰投した。

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