第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月
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「パーチ (SS-313)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説
4月28日、パーチは最初の哨戒でピート (USS Peto, SS-265)、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) とウルフパックを構成しルソン海峡、南シナ海方面に向かった。ミッドウェー島を経由した後、哨区に到着。この頃のパーチなどがいた海域は絶好の狩場となりつつあった。5月24日、パーチは1隻の護衛艦を伴った中型のタンカーを攻撃し、魚雷を4本発射。命中音を聴取した。しかし、護衛艦が反撃に出て十分な観測が出来なかった。また、続く爆雷攻撃で気圧室を損傷したためパーチは哨戒を打ち切って基地に戻ることとなった。6月4日、パーチは35日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 6月27日、パーチは2回目の哨戒でフィリピン、スリガオ海峡方面に向かった。7月29日に北緯10度46分 東経127度13分 / 北緯10.767度 東経127.217度 / 10.767; 127.217のディナガット島東方海上でい号観音丸(田谷亀一、115トン)を撃沈した。8月26日、パーチは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月
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「ブルーギル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説
4月1日、ブルーギルは最初の哨戒でミンダナオ島、ハルマヘラ島およびパラオ方面に向かった。ブルーギルには、司令部から「パラオとハルマヘラの間が特に重要である」と念を押されていた。4月27日未明、ブルーギルはソンソロール島の近海を哨戒中、レーダーに大小の目標を探知した。当時、軽巡洋艦夕張と駆逐艦夕月がソンソロール島への陸軍兵の輸送作戦に従事していた。ブルーギルはその2隻を探知したのである。ブルーギルは雨中の中を夕張と夕月の予想進路上に向かい潜航して待ち構えたが、気がつけば夕張と夕月はとっくに通り過ぎてしまい、このときは攻撃は失敗した。ブルーギルはソンソロール島に接近し、陸軍兵を揚陸中の夕月を発見。これを攻撃しようと接近中、視界内に夕張が現れた。夕張は夕月が陸軍兵を揚陸中には周囲で警戒していたが、やがて夕月の揚陸作業が終わったのでパラオへ向かおうとしていたところだった。ブルーギルは諸計算を訂正した上で夕張に対し、距離2,400メートルから魚雷を6本発射して、うち1本だけが夕張に命中した。命中したときはちょうど潜望鏡を下げるところで、下げてから爆発音が3つ聞こえた。夕張は丸一日持ちこたえたが、最終的には4月28日午前に北緯05度38分 東経131度47分 / 北緯5.633度 東経131.783度 / 5.633; 131.783の地点で沈没した。攻撃直後、これも揚陸作業に従事していた駆逐艦五月雨が反撃してきたが何も起こらず、逆に夕月に対して魚雷を4本したが命中しなかった。4月28日午後、ブルーギルは北緯05度44分 東経132度14分 / 北緯5.733度 東経132.233度 / 5.733; 132.233の地点で夕月に対して再び魚雷を4本発射したが、これも命中しなかった。この時も夕月の爆雷攻撃を受けたが、被害はなかった。5月1日夕刻には、北緯07度08分 東経130度00分 / 北緯7.133度 東経130.000度 / 7.133; 130.000のパラオ西方でダバオに向かっていた陸軍輸送船阿蘇山丸(三井船舶、8,811トン)を発見。阿蘇山丸は東松5号船団に加わってパラオを出港していたが、4月27日にトリガー (USS Trigger, SS-237) の雷撃により大破してパラオに引き返し、仮修理を終えてパラオを出てきたところだった。ブルーギルは北緯07度07分 東経129度56分 / 北緯7.117度 東経129.933度 / 7.117; 129.933の地点で魚雷を4本発射し、うち2本が命中したと確認される。爆雷攻撃を避けたのち、翌5月2日朝に浮上して未だ浮いていた阿蘇山丸に対して砲撃を行い、砲撃後約1時間で阿蘇山丸は沈没していった。続いて5月20日、ブルーギルは北緯02度13分 東経128度01分 / 北緯2.217度 東経128.017度 / 2.217; 128.017のモロタイ水道口で陸軍輸送船宮浦丸(日本郵船、1,856トン)を発見し、魚雷を4本発射する。魚雷は2本が宮浦丸に命中し、可燃物を搭載していた宮浦丸は炎上して間もなく沈没した。2日後の5月22日、ブルーギルは北緯05度01分 東経127度48分 / 北緯5.017度 東経127.800度 / 5.017; 127.800の地点で9隻の輸送船団を発見して接近を試みたが護衛艦の爆雷攻撃で避退し、夕方になって浮上したところ、第九五四航空隊機の爆撃を受けて一時艦の動力が止まり、舵を人力で操作しなくてはならなかった。またレーダーや電池も損傷したが、ブルーギルは応急修理の上哨戒を続けた。6月7日、ブルーギルは67日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 7月6日、ブルーギルは2回目の哨戒でダバオおよびミンダナオ海方面に向かった。7月20日、ブルーギルは北緯06度18分 東経126度08分 / 北緯6.300度 東経126.133度 / 6.300; 126.133のサンアウグスティン岬沖で「名取型軽巡洋艦」を発見して魚雷を6本発射したが、命中はしなかった。ダバオ湾(英語版)に入り、7月22日には北緯06度11分 東経125度10分 / 北緯6.183度 東経125.167度 / 6.183; 125.167の地点で1,000トン級小型輸送船を発見して魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。8月2日、ブルーギルはの地点でまたもや「名取型軽巡洋艦」を発見する。魚雷を4本発射するよう設定して、あとは発射を待つのみであったが、視界内に入ってきた「千鳥型水雷艇」から猛烈な爆雷攻撃を受け、攻撃の機会を逸した。8月7日午後、ブルーギルは北緯06度04分 東経124度22分 / 北緯6.067度 東経124.367度 / 6.067; 124.367の地点で海軍徴傭船山珠丸(山下汽船、4,642トン)を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は1本か2本が山珠丸に命中してこれを撃沈し、残る2本は海岸に命中して爆発した。攻撃後には36発にも及ぶ爆雷攻撃があったが、大したことはなかった。8月13日朝には北緯06度17分 東経126度09分 / 北緯6.283度 東経126.150度 / 6.283; 126.150のサンアウグスティン岬北方5海里の地点で海軍徴傭船広順丸(広海汽船、1,931トン)と特設駆潜艇鶚(みさご)丸(朝鮮総督府、154トン)を発見。艦尾発射管より魚雷を4本発射し、広順丸と鶚丸に1本ずつ命中して2隻とも撃沈した。8月15日、ブルーギルは南緯02度35分 東経126度20分 / 南緯2.583度 東経126.333度 / -2.583; 126.333の地点で、8名から12名の乗組員がいる巡視船を観測する。浮上砲戦を行い、およそ10分程度で100トン級巡視船を撃ち沈めた。8月18日にダーウィンに寄港して燃料と清水を補給。8月24日、ブルーギルは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月
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「タイルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説
4月3日、タイルフィッシュは最初の哨戒で日本近海に向かった。「ヒットパレード」との俗称がつけられていた本州の東岸沿いを哨戒をしたが、航空機は発見するものの肝心の艦船は発見できなかった。おまけに音響測深機の調子がいまひとつな上に霧と曇天に悩まされた。5月11日、タイルフィッシュはようやく最初の獲物たる小さな輸送船団を発見し、魚雷を発射した。魚雷は客船のブリッジ下で爆発したように見えたが、その直後から護衛艦による爆雷攻撃を受けた。タイルフィッシュは安全深度より深い180メートルの深度に潜んで、攻撃をやり過ごした。その後、5月19日と20日に北マリアナ諸島海域で哨戒を続けたが、結局獲物には恵まれなかった。5月29日、タイルフィッシュは54日間の行動を終えてマジュロに帰投。潜水母艦ブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) による整備を受けた。 6月22日、タイルフィッシュは2回目の哨戒でソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) 、ロック (USS Rock, SS-274) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。担当海域に着くと、タイルフィッシュはバタン諸島とバシー海峡の間を哨戒した。7月18日、タイルフィッシュは北緯26度56分 東経119度58分 / 北緯26.933度 東経119.967度 / 26.933; 119.967の地点でヒ69船団を発見し、僚艦とともに攻撃した。10時50分、タイルフィッシュの視界内に対潜掃討中の第17号海防艦が入ってきた。タイルフィッシュは魚雷を6本発射し、うち1本が第17号海防艦の艦首に命中し大破させた。タイルフィッシュは航空機の制圧を受ける前に深く潜航。9分後に潜望鏡深度に浮上して観測すると、何も見えなかった。タイルフィッシュは「駆逐艦1隻撃沈」と判断した。その後、台湾東岸を哨戒していたが、付近を遣独潜水艦作戦から帰還途中の伊29が通過することが判明し、予想針路に近かったタイルフィッシュ以下のウルフパックにその捕捉が命じられた。7月25日、タイルフィッシュはマニラ西方800マイル地点で伊29と接触し、追跡したものの数多の妨害により攻撃できず、翌26日16時45分にソーフィッシュが伊29を撃沈した。7月31日にも輸送船団を発見したが、良い攻撃位置をとることができなかった。タイルフィッシュは帰途にミッドウェー島に寄港。8月15日、タイルフィッシュは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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